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29歳の女性僧侶が、受刑者に寄り添う“最年少教誨師”になった理由。「常識を常識と思えなかった」不登校時代を経て

日刊SPA! / 2024年4月11日 15時54分

教誨師を始める際に先輩方に言われたのは「ひたすら寄り添うのがいいことではない」ということ。相手の苦悩に引っ張られず、安心して頼ってもらえるよう、まずは己自身が精神的に自立することが重要です。ただ「丸亀少女の家」の教誨師は私以外の4人は全員男性。同性だからこそ“自分の進むべき道の延長線上にいる人”として、少女たちが未来を想像できる存在になれていることは、私の強みだと思っています。

◆“私の軸ってなんだろう?”僧侶を目指した理由

──片岡さんが僧侶になったのは、もともと“慈泉寺の子”として生まれたというのが大前提にあるかとは思います。

片岡:ええ。ただお寺の子特有の幼少期は特に過ごしていません。普通にクリスマスのお祝いもします。

──片岡さんの宗派である浄土真宗は、修行がなく、結婚も髪色も比較的自由だそうですね。

片岡:悟りたければ出家する宗派もあります。ただ修行など特別なことをしないと幸せになれないのでは、宗教として一般の人たちが取り入れるのは難しいですよね。私は浄土真宗の“修行などの特別な行動に依らない”という教えが気に入っているんです。だから夜更かしもするし昼まで寝ていることもある。動物みたいな生活をしていますよ。

──僧侶は早起きして雑巾がけしているとばかり思っていました。仏道を志したのは、芸術系の大学時代だったんですよね?

片岡:はい。大学自体はしっくりこなくて1年通って休学しましたが、学校外の活動などには参加していたんです。ある日、アパレル関係者の懇親会でファッションブランドを立ち上げたデザイナーさんや社長さんたちと出会いました。その人たちと関わるなかで、“私の軸ってなんだろう?”と考えたんです。一生を通じてやり続けられることは何か。こんなふうに考えたとき、これまで惹かれていたものは“歴史のある考え方”だということに気づきました。その根本にあるのはお寺であり、僧侶という職業かもしれない。これまで身近ではあったけど実態を知らない世界を知るため、大学を中退し、中央仏教学院へ進学しました。

──その後、ご自身のルーツである京都の真宗興正派の本山に勤務されたんですよね。

片岡:そうですね。専門学校時代もそうだったのですが、僧侶になりたくて学んでいる、働いている人たちがほとんどいないのには驚きました。“家がお寺だから仕方なく”という方たちが多かったんです。自ら僧侶になりたいという私のような存在は、周囲から鬱陶しがられていましたね。憧れて手に入れた場所の現実を受け入れられず、もうこの道では生きていけないかもと、食い繫ぐだけのアルバイトをしたこともありました。ただ“とりあえず”の仕事が私はもうできなくなっていて。そのとき、浄土真宗における仏教を世界へ広めることを専門にする布教使として活動しようと思いました。

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