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YOASOBI・藤井風の海外進出に見る、J-POPから消すことのできない「個性」の正体

日刊SPA! / 2024年4月20日 8時53分

『Tiny Desk Concert』の藤井風も興味深く見ました。ソウル、R&Bのイディオムを見事に自分のものとして、いかにも“勉強しました”感もなく、一筆書きの柔らかさでもって体現する芸風は唯一無二です。
 けれども、藤井風の“ソウル”がクオリティを高めれば高めるほど、生々しさ、迫力からは遠ざかっていく。

 本家『Tiny Desk Concert』での、CHICやチャーリー・ウィルソン、そしてロバート・グラスパーやジェイコブ・コリアーなどと聴き比べると、藤井風は対照的、もっと言えば真逆です。

 子音の強さ、メリハリのあるアクセントを根拠とするハイハットやベースライン。分厚いハーモニーにおける多声の一部として機能するボーカル。こうした西洋のイディオムを身に着けながら、藤井風は日本語でもってそこに逆行して針の穴に糸を通すような作業をしているわけですね。

 それゆえに、彼の歌は細くしなやかにならざるを得ず、必然的に“洋楽”とは異なる響きを持ってしまう。

『Tiny Desk Concert』日本版でも、ディスアドバンテージこそが唯一無二の個性になることを示しているのです。

◆二組の海外進出が教えてくれたこと

 YOASOBIも藤井風も、日本語のリズム、抑音で考え、立案し、実演している音楽です。衣服は洋装でも、肉体は日本。古臭い言い方かもしれませんが、日本人が存在して日本語を話す限り、ここからは逃れられず、またそこにいつの時代にも通じる新しさが生まれるのではないでしょうか。

 作曲家の小倉朗(1916-1990)は『日本の耳』というエッセイで、こう書いています。

<なるほど、日本の音楽は知的作用を隔絶した世界である。ヨーロッパの音楽は、記譜法を確立するとともに、理論的体系を積み重ねながら調的な力を追求してきた。(中略)すなわち、ヨーロッパの音楽は調的な力の把握に知的作用の授けを借りたが、日本の音楽は、調性をひたすら体験的なものとして感じ、伝承してきたのである。(中略)いいかえれば、ヨーロッパの音楽は客観的、日本の音楽は主観的性格を持つということになる。もしベートーヴェンが音ではなく光を失っていたとしたら音楽は書けなかった。けれども古来日本の音楽家には盲人が少くない。そういう日本ではもっぱら、耳づて、口づてで音楽が伝承されてきた。>(『日本の名随筆25 音』 團伊玖磨 編 作品社 p.70)

 ニュースのナレーターのようなikuraの滑舌と、読経のような藤井風のスムーズなR&Bは、どうしようもないほどジャパニーズ。

 改めてそのことを教えてくれた、価値ある世界進出だったのだと思います。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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