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3月に「笑点」卒業の林家木久扇が“2度のガンを克服”できたワケを語る「毎朝ガンに向かって…」

日刊SPA! / 2024年4月25日 15時52分

 大喜利で指されてから「あれ、問題なんだっけ?」って忘れるやりとりは、いつもはネタとしてやってるんですけど、あのときは正座してるだけで精いっぱいだったから、本当に忘れていたかもしれない。

 でも、長年やっているから、それなりにちゃんと答えて座布団をもらったりして、テレビを見ている人には「いつもと違うな」ってことは気づかれてなかったんです。

 手術が終わって、先生は「食生活にさえ気を付けていれば、胃はもう大丈夫」って言ってくださいました。ただ、こういう商売なんで、落語会や講演のあとには必ず打ち上げがあるんです。

 催しの担当者が「また来年もやりましょう」と言ってくれたりもする大事な席なので、せっせとお付き合いしてました。

◆14年後に今度は喉頭ガンに

 胃のほうは静かにしててくれていたんですけど、14年後に今度は喉頭ガンになりました。咳がコンコン止まらないから大学病院で検査したら、喉頭ガンのステージ2だったんで。そのうち声が出なくなっちゃった。

 ガンって「こうすれば治る」っていう決まった治療法はないんですよね。放射線がいいのか抗ガン剤がいいのか、通院でいいのか入院するのかしないのか。

 ぼくは噺家ですから、とにかく声を守りたかった。抗ガン剤治療だと髪の毛が抜けるって言うし、そうなるとテレビ映りがよくない。入院もしたくなかったから、通院で放射線治療を受けることにしたんです。

 その治療法が効いてくれるかどうかは、やってみないとわかりませんが、絶対に治る気がしてましたね。

◆子ども心に「明日死んじゃうのかな」という虚無感を抱え…

 二度もガンを患って、もっと落ち込んだり先行きが不安になってもよさそうなもんですけど、そうならなかった。ふたつ理由があって、ひとつはバカの天才だからです。

 まだ起きてもいない事件を考えると、頭が疲れちゃう。「不安」を抱えてクヨクヨするのは、頭の無駄遣いです。

 毎日忙しくにぎやかに過ごして、パッと寝て次の日を迎える。それが、ぼくのリズムなんでしょうね。

 もうひとつは、小学校1年生のときに東京大空襲を経験していること。忘れもしない1945(昭和20)年3月10日、3回目の東京大空襲でB29が290機も襲来して、東京の上空から爆弾を落としたんです。ひと晩で十万人の方が亡くなりました。

 そりゃもう、生きた心地がしなかったし、友だちも知り合いもたくさん亡くなってます。

 その頃は毎晩のように空襲警報が鳴って、空をアメリカの爆撃機が飛び回ってた。東京のどこかが燃えていて、夜なのに空が明るかったんですよね。

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