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「絶対にアメリカに行ったほうがいい」岡島秀樹がメジャー行きを意識した“新庄剛志の言葉”

日刊SPA! / 2024年5月8日 15時51分

◆真っ先に連絡が来たのはボストン・レッドソックス

 家族を気遣うヒルマンのスタイル。そして、メジャー経験を持つ新庄の言葉。少しずつ、岡島の胸の内にメジャーリーグの存在が大きくなっていく。しかし、それはまだ曖昧模糊としたものだったが、やがて現実味を帯びてくる。

 移籍1年目となる’06年、ファイターズは北海道移転後初となるリーグ制覇、そして日本一に輝いた。左のセットアッパーとして、岡島もチームに貢献した。そして、この年のオフ、満を持してFA宣言をした。国内外を問わず、自分の評価が聞きたかった。

「真っ先に連絡が来たのはボストン・レッドソックスでした。エージェントによると、条件もそんなに悪くないということだったので、家族に相談せず、独断で決めました」

 それまで、まったくメジャーリーグに関心はなかった。かつてのチームメイトの松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースで活躍する姿をスポーツニュースで見る程度だった。

 しばらくすると、期せずして松坂大輔のレッドソックス入りが決まった。世間の注目は松坂に集まっていた。

「松坂君は大スターですから、彼が表のヒーローなら、僕は陰のヒーローでいい。だから、メディアではいつも『僕は松坂君のシャドウ(影)です』と答えていました(笑)」

 表のヒーローと陰のヒーローが同時に海を渡る。

 ’07年、いよいよメジャーリーガーとしての日々が始まろうとしていた――。

◆渡米後、短期間で新魔球を習得

 日本からアメリカに渡ったピッチャーのほとんどが、「滑るボール」と「硬いマウンド」に悩まされる。しかし、幸いなことに岡島の場合は、いずれも難なくクリアする。

「ボールは確かに滑りました。日本で投げていたカーブが抜けてしまってコントロールが定まらない。だから思い切ってカーブは見せ球にして、新たにチェンジアップをマスターすることにしました」

 日本で決め球にしていたカーブをあえて捨てる。それは、新天地で成功するために覚悟を決めた瞬間だった。

 スプリングキャンプ直前、岡島はミネソタ・ツインズに在籍していたヨハン・サンタナに会いに行く。’04、’06年にサイ・ヤング賞を獲得したMLBを代表するサウスポーだ。

「たまたま彼も、僕と同じエージェントのクライアントだったので、そのツテをたどってチェンジアップを教わりに行きました。ものすごく気さくに教えてくれましたよ。僕の投球映像を見てもらったら、『日本でスプリットは投げていたのか?』と尋ねられたので、『イエス』と答えると、『これだけオーバースローなら絶対にチェンジアップも投げられる』と言ってもらいました」

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