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正しさを忘れた渋沢栄一etc.「新紙幣の偉人たち」知られざる“やばい”一面とは

日刊SPA! / 2024年7月1日 8時51分

明治中期のある日、栄一が社長をつとめていた会社でトラブルが起き、部下の専務は栄一を探しました。しかし自宅にもおらず、夜になっても帰らないので、専務は「もしかして……」と、栄一の浮気相手の家に行きました。すると家の奥から「“こんなところに渋沢がおるべき道理はありません。ご用がおありなら、明日の朝に自宅をおたずねになったらよろしい”と言いなさい」と、明らかに栄一の声で「居留守を使え」と指示しているのが聞こえてくるではありませんか! 専務は笑いをこらえるのが大変でした。

専務からすれば、これは「おちゃめな栄一の笑える浮気話」ですみますが、栄一の妻にとっては一生の苦痛でした。「論語とはうまいものをみつけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」と妻は子どもたちによくグチをこぼしていたそうです。

◆津田梅子の“すごい”エピソード 
6才でアメリカ留学し
女性が自立するための学校を作る

海外事情にくわしかった父のすすめで、わずか6才の津田梅子は4人の少女とアメリカへ渡りました。日本人女性初の留学生です。

梅子はアメリカ人夫妻にかわいがられながら国際人として多くを学び、18才で帰国。日本で英語の教師になると、日本が欧米に比べて「男尊女卑」で、女性の地位も教育レベルも男性より低いことにショックを受けます。

そこで「日本にも女性が職について自立するための学校を作ろう!」と国内外の友人たちに寄付を呼びかけ、35才のとき、のちに津田塾大学となる女子英学塾を作りました。梅子の授業は厳しいことで有名でしたが、卒業生の多くが教育者となったことで、全国の女性が高い教育を受け自立できる環境ができたのです。

◆津田梅子の“やばい”エピソード 
科学者の道を捨てて恩師にブチギレられる

女子教育の研究のため、24才で再びアメリカ留学した梅子は、大学で英語と歴史を専攻し、副専攻には生物学を選びました。すると梅子は生物学でも才能を発揮。教授と共同で『カエルの卵の発生』という論文を発表し高い評価を得ました。

梅子の才能を見こんだ学長は「このまま大学に残って科学者の道を選んでは? あなたなら世界で活躍できるわ」とすすめます。当時の外国人留学生に対しては特例の申し出です。梅子は科学の道にもひかれつつも、日本の女子教育のためにキッパリ断りました。すると学長に「あなたがそんな恩知らずだとは!」とキレられ、ケンカ別れとなりました。でも、のちにふたりは和解し、学長は梅子の学校建設に協力しています。

◆森鴎外がライバル視した
新千円札の北里柴三郎

軍医、小説家としてマルチに活躍した森鴎外の“やばい”エピソードに新千円札の北里柴三郎が出てくるので合わせて紹介しようーー。

森鴎外は、天才医学者の北里柴三郎を勝手に敵視していました。当時、日本軍兵士に多かった脚気という病気の原因を「菌」だと思っていた鴎外に対して、柴三郎が「脚気は菌じゃない。栄養不足が原因だ」と反論したのを根にもっていたのです。

その後、柴三郎が香港でペスト菌を発見すると、鴎外は自分の名を伏せて読売新聞に「北里の発見は欧米でもウソだと言われている」と書きました。これは事実無根のフェイクニュース。鴎外は自分より優秀なライバルをこっそり蹴落そうとしたのです。

しかし実際、脚気の原因は栄養不足でした。鴎外は脚気論争に敗れ、柴三郎は伝染病研究の第一人者となり日本の医学を大いに発展させました。

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