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「あまりにも人間くさく、美しい」絶望のなかを強く繊細に生きた天才詩人の自伝的小説/『ベル・ジャー』書評

日刊SPA! / 2024年8月20日 8時50分

「あまりにも人間くさく、美しい」絶望のなかを強く繊細に生きた天才詩人の自伝的小説/『ベル・ジャー』書評

シルヴィア・プラス 著、小澤身和子 訳『ベル・ジャー』(晶文社)

 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 あまりにも文庫にならないので、「文庫になると世界が滅ぶ」と云われていた世界文学の傑作、ガルシア=マルケス『百年の孤独』が、先日ついに文庫化した。私が働いている書店では、海外文学として異例の1000冊という破格の冊数を仕入れたのだが、発売10日で売り切った。飛ぶように売れていくさまを見ながら「みんな、置いていかないで!」と叫びたかった。660ページもある『百年の孤独』など夢のまた夢で、私は海外文学が本当に苦手なのである。馴染みのない名前の登場人物たちに、壮大なストーリー。日常と地続きで、個人のミクロな問題にフォーカスする日本文学を好む私は、どうしても外文への先入観を捨てられずにいた。

『百年の孤独』爆売れラッシュにも乗り遅れ、また外文に触れるきっかけを失いかけていた矢先、この『ベル・ジャー』の存在を知った。私の敬愛する作家がSNSで「この夏、絶対読んでほしい!」と激推ししているではないか。これは読むしかない。こうして導かれるように手に取った『ベル・ジャー』は、私にとって忘れられない1冊になった。

 天才詩人と呼ばれた、シルヴィア・プラスの自伝的小説である本作。『ベル・ジャー』は、英米だけで430万部以上を売り上げた世界的ベストセラーだ。

 主人公のエスターは、奨学金で大学に通う優秀な女子学生。決して裕福な家庭環境ではないが、人一倍努力し、狭き門であるニューヨークの出版社でのインターンを勝ち取った。順風満帆にも見えるが、将来への不安や周りの学生との差に劣等感を覚え、悩みは尽きない。何者かになりたいという心意気は人一倍あるのに、明確な未来予想図が描けないことで、空回りする日々を送っていた。
 親しい男友達からの裏切りや、友人との価値観の違い。インターンではこれといった結果も残せなかった。焦りだけが募り、エスターの心は徐々に限界に達しかけていた。引き金を引いたのは、作家に直接師事するチャンスを摑むため、書き上げて投稿した小説が不合格だったことだ。良い作品が出来たと信じ、落ちることなど疑わなかっただけに、そのショックは計り知れないものだった。
 思春期ゆえの苦悩と云われればそれまでだが、些細なことの積み重ねで精神のバランスを崩してしまう心境は想像に難くない。睡眠薬も増え、母親に連れられて精神科に通い始める。ふと新聞に目をやった先には自殺未遂者の記事。ぎりぎりで表面張力を保っていたコップの水はついに溢れ出し、エスターは自殺を図ることになる。未遂に終わったものの、精神病院から出られなくなったエスターは、数々の困難のなかで少しずつ光を手繰り寄せていく。「わたしは、わたしは、わたしは」。絶望の中で自分を見失わないよう、呪文のように唱えるエスターの姿はあまりにも人間くさく、美しい。

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