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「あまりにも人間くさく、美しい」絶望のなかを強く繊細に生きた天才詩人の自伝的小説/『ベル・ジャー』書評

日刊SPA! / 2024年8月20日 8時50分

 タイトルの「ベル・ジャー」とは、実験などで使われる、上から被せる形のガラス鍾の意味だ。エスターは、この世界のどこにいても、いつも同じガラス鍾の中に座って、自分のすえた臭いを嗅ぎながらくよくよと悩むのだろうと言う。キャリアを積みたいけれど、家庭も築いてみたい。替えの利かない何者かになり遂げて成功したい。でも、どうやって。
 この小説が書かれた60年以上前も、若者、とりわけ若い女性の苦悩は今と変わらないどころか、より深刻だったことがよくわかる。
 けれどエスターは、決して繊細なだけのキャラクターではない。この世界で闘ってやるんだというガッツと、早熟ゆえのシニカルな思考はとてもリアルで愛おしく、言いようのないシンパシーを覚えた。中盤、後半にかけて徐々に歯車が狂っていくさまが読み取れて、胸が締め付けられる。どこでこうなってしまったんだと何度もページを戻してしまう。世間と折り合いをつけられないまま、周りだけがどんどん進んで行くように思えるあの焦燥感は、きっと誰の身にも覚えがあるだろう。印象的なラストシーンを、私はハッピーエンドだと信じたい。

 作者のプラスも主人公と同じく、若いときに自殺を図り、精神病院に入院した経験がある。退院後に結婚するも、夫の浮気が原因で離婚。この『ベル・ジャー』は、子供2人を抱えながら一気に書き上げられた作品だ。当時は評価に繫がらず、刊行1か月後にプラスは自ら自宅のオーブンに頭を入れて亡くなるのである。

 日本文学にはない、海外文学ならではの楽しみ方があることも知った。それは翻訳者の違いである。本作は青柳祐美子訳で2004年にも刊行されている。より深く『ベル・ジャー』を知りたくて、こちらも読んでみたら驚いた。原著は同じでも、翻訳者の訳し方によって全く味わいが変わってくるのだ。

 たとえば、青柳訳の326ページはこうだ。
【きっといつか、「忘れる」ということが、やさしい雪みたいに、すべてを覆って麻痺させてしまうだろう。
でも、あの痛みは全部、私の一部。あれは私の懐かしい心の風景。】
 対して、今回の小澤身和子訳はこう。
【もしかすると忘れてしまえば、雪のように、なにも感じなくなって覆い隠されてしまうのかもしれない。
でも、あれはぜんぶわたしの一部だった。わたしの風景だった。】
 訳し方だけでなく、漢字と平仮名表記が違うだけでもここまで印象が異なる。前者は叙情的なイメージが際立ち、後者は主人公の切実さがより伝わってくるようだ。
 それぞれを読むごとに、新しい魅力を再発見した。これも海外文学にふれる醍醐味かもしれない。

 海外文学というと、どこか遠い国の出来事で、自分とは交わらない登場人物ばかりが出てくるのだと思っていた。けれど『ベル・ジャー』のエスターは、驚くほど私の知っている人だった。それはかつての私のようだったし、私の友人のようにも思えたし、SNSで流れてくる知らない誰かの呟きにも読めた。共感とはまた違う、懐かしくて苦しかった記憶が共鳴し合うような、不思議な感覚。なすすべのない自意識を携えながら、それでもこの世界で生きていくこと。『ベル・ジャー』で描かれているエスターの生き様は、時代や年齢、性別をも超えて、読んだ者の中で強烈な光を放ち続ける。

評者/市川真意
1991年、大阪府生まれ。ジュンク堂書店池袋本店文芸書担当。好きなジャンルは純文学・哲学・短歌・ノンフィクション。好きな作家は川上未映子さん。本とコスメと犬が大好き

―[書店員の書評]―

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