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音楽フェスの「洋楽離れ」が話題に。実は24年前、すでに起こっていた“地殻変動”の正体

日刊SPA! / 2024年8月24日 8時49分

◆2000年に起きた“地殻変動”

 ところが、この牙城が崩れる年がやってきます。2000年の年間チャートで、およそ半数近く40曲もの邦楽がチャートインしたのです。これにはJ-Waveを聞いてきた筆者も衝撃を受けました。日本の音楽受容が根っこから変わりつつあることを如実にあらわしていると感じたからです。

 もちろん、日本のポップスが洋楽と並べて聞いても遜色ない仕上がりになったと言えるかもしれません。けれども、1997年は7曲、1998年では10曲、そして前年の1999年でも20曲だったことを考えると、2000年に地殻変動が起きたとしか言えないほどの激変ぶりです。

 だから、近年言われているJ-POPのガラパゴス化とは、1999年から2000年の間に起きたJ-Waveのドラスティックな変化に端を発しているのだと思います。

◆J-Waveが洋楽を断念した背景とは?

 では、J-Waveが洋楽を断念した背景には何があるのでしょうか? ひとつには、1990年代半ばにピークを極めた日本のCDバブルが挙げられます。小室ファミリーを筆頭に、ミスチル、ドリカム、B’zなどがこぞってミリオンヒットを連発した時代。市場規模が巨大化し、日本のアーティストとリスナーだけで経済圏が成立するようになったことです。“俺達だけでやってけるんじゃね?”という気運が音楽のジャンルで起きたのではないか。

 売上の大きさと音楽の質を結びつけ、それを自信にしていった時代が、ちょうどこの頃なのです。LAの高層ビルの屋上でヘリを飛ばしてMVを撮影した華原朋美の「I’m proud」が象徴的です。洋楽に追いついて、ひょっとしたら追い越せるという期待がピークに達していたのですね。

 同時に、渋谷系や本格的なR&Bを下敷きにした、サブカルチャーの豊かさを感じさせる音楽を楽しむ余裕もありました。

 日本の音楽シーンが最も幸福な時代だったからこそ、そこで洋楽がスコーンと抜け落ちるきっかけとなった可能性です。これは一応良い面として押さえておきましょう。

◆2000年は「日本が斜陽の時代に入っていく最初の年」だった

 その一方で、2000年はバブル崩壊から10年弱が経過した時期でもあります。戦後初めてデフレを経験したのも2000年ということで、いよいよ日本が斜陽の時代に入っていく最初の年だったのです。

 経済の弱体化は輸入する力、意欲を削ぎます。音楽においては、洋楽から学ぶ余裕が失われてくる。お財布の事情、そして精神的にも鎖国せざるを得ないような状況がやってきたわけですね。これが見事にJ-Waveの状況と重なって見えるから面白い。

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