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日本人男性がタイで“無一文”に。タニヤのカラオケ店で月400万円を売り上げるオーナーになるまで

日刊SPA! / 2024年8月27日 8時52分

 旅行のつもりが、カラオケの客引きとして働くこととなった東野さん。こうして滞在中の食費を稼ぐことができ、1ヶ月後、無事に帰国することができたという。

 その後、東野さんは医療系の財団法人で就職が決まり、寝具部や歯ブラシの歯科機材の販売を行う看護部を担当することとなった。手取りは18万円ほどだった。

「同級生の中ではまだもらえている方ではあったので、生活には満足していましたが、タイで過ごした1ヶ月間が忘れられなかったんですよね。そんなとき、知り合いがバンコクで旅行会社を始めるというので、その立ち上げメンバーとして手伝ってくれないかと誘われました。そこで思い切って仕事を辞めて、バンコクに行くことを決意したんです」

◆月収は約5万円で苦しい生活を強いられる

 24歳のとき、わずかな貯金を手に再びバンコクへ渡った東野さん。しかし、いざ働き始めた旅行会社はなかなか軌道に乗らず、給料はほとんどもらえない状態。金欠に陥った東野さんは、バンコクの日本人学校で講師の仕事に就いた。だが、ビザはもらえず、月収はたった1万5000バーツ(当時のレートで約5万円)だったという。

「お金がなくて、コンビニで売っているパンの耳を食べて飢えをしのいでいました。そんな生活が続いていたある日、以前、タニヤのカラオケ店でお世話になったママから連絡がきたんです。ママの誕生日会を開くので来てほしいと言われ、参加費は1人5000バーツとのこと。お金がないので『行けない』と伝えると、ママは『タダでいいからおいで』と言ってくれたんです」

 ママの誕生日会に無料で参加し、食事を楽しんだ東野さん。誕生日会が終わって帰ろうとしたとき、驚くべきことにママから5000バーツを請求されたという。

「当然、持ち合わせなんてないので『払えないよ』と言うと、ママは笑いながら『じゃあ、またうちで働けばいいよ』と言うんです。今思えば、また働いてほしいという口実だったのでしょうね」

 いかにもタイらしい成り行きではあったが、それが東野さんのタイでの運命を再び変えるきっかけとなった。

◆カラオケ店と旅行会社の二足のわらじ生活

「ママのカラオケで働きながら旅行会社も両立しているうちに、旅行会社も軌道に乗ってきました。しばらくは二足のわらじで働いていたのですが、2017年に日本人のお客さんに『タニヤでカラオケ店の店長をやってみないか』と声をかけられたんです」

 こうしてタニヤのカラオケ店の店長となった東野さん。もともとタニヤでは顔が知られていたため、すぐに人気店となったものの、ほどなくしてコロナ禍が訪れた。

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