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袴田ひで子さん「“被告人は無罪”が神々しく聞こえました」。袴田事件裁判で現場は“お祭り状態”に

日刊SPA! / 2024年9月28日 8時48分

袴田ひで子さん「“被告人は無罪”が神々しく聞こえました」。袴田事件裁判で現場は“お祭り状態”に

無罪判決を喜ぶ、小川秀世弁護士(左)と袴田ひで子さん(右)  撮影//松本雄世

 日本の法制史を揺るがす“世紀の裁判”は、人口約70万人の都市、静岡市で開かれていた。
 その裁判とは、1966年6月に静岡県清水市(現:静岡市清水区)で発生した、味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて現金が奪われた上に、一家宅が放火されたという強盗殺人・放火事件。犯人とされたのは、袴田巖さん(88)。俗に言う「袴田事件」だ。

 袴田さんに対しては、1980年に最高裁で「死刑判決」が確定。その後、2回の再審請求を経て、2014年3月に静岡地裁が再審開始と拘置の執行停止を決定し、袴田さんは48年ぶりに釈放されている。

 9月26日、再審やり直しの裁判の判決が静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。裁判所前は午後の開廷を前に、朝から“お祭り騒ぎ”。本記事ではその様子をレポートする。

◆厚く重い“再審の扉”を開いた「袴田事件」

 事件は、さかのぼること58年前の1966年6月30日のこと。深夜2時すぎに、静岡県清水市(現:静岡市清水区)の味噌製造会社の専務の自宅が全焼する火災が発生。焼け跡からは、専務(41)のほか、妻(39)、次女(17)、長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた遺体が発見された。さらに、事件日が味噌製造会社の給料支給日であったことから、現場となった専務宅には大金が置かれており、その一部が盗まれていた。

 警察は当初から、従業員で元プロボクサーの袴田さんを犯人であると決めつけた上で捜査を展開し、同年8月18日に袴田さんを逮捕。袴田さんは、当初は否認していたが、警察での1日平均12時間以上の取り調べ・自白強要により、逮捕から19日後の9月6日に自白。静岡地検に強盗殺人と放火の罪で起訴された。

 警察では猛暑の中、取調室に監禁され、便器を取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態で、自白に追い込んでいたという。

「お前は殺人犯だな。その罪は深いぞ、深い。自分が犯した殺人という罪。これに対して、本当に心から謝る、本当の心から謝罪するんだ」(取り調べ録音テープから)

 その後、1966年11月から静岡地裁で開かれた裁判では、自白から一転して全面的に起訴内容を否認。1968年9月、同裁判所(石見勝四裁判長)は袴田さんに対して、死刑判決を言い渡した。その後も、無罪を訴えて控訴・上告するも死刑判決が確定。

 もっとも、「袴田事件が冤罪ではないか」という疑問を強めた出来事が、第一審が審理されている最中に発生した。当初、犯行着衣とされていたパジャマが、公判の中で警察が行った鑑定に疑惑が生じ、実際に血痕が付着していたかも疑わしいことが明らかとなり、検察側が不利になりつつあった。

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