1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「小説家とともに二郎系ラーメンを啜る」小山田浩子が実直に描写した“昼食の記録”の没入感/『小さい午餐』書評

日刊SPA! / 2024年10月8日 8時47分

「小説家とともに二郎系ラーメンを啜る」小山田浩子が実直に描写した“昼食の記録”の没入感/『小さい午餐』書評

小山田浩子・著『小さい午餐』(twililight)

 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 ご飯を食べる。その様子を記録する。そのありふれた日常の記録が積み重なると、見えてくるものがあるらしい。極私的なことから世界単位の大きなものまでが、そこにはびっしりと詰め込まれているのだ。

『小さい午餐』(twililight)は、小説家・小山田浩子のランチ=午餐の記録だ。2019年の初めから2021年の初めのほぼ2年間の連載に加え、2024年に書き下ろされた2編を収録している。小山田はとにかくご飯を食べている。そしてその一部始終を、食べるに至った経緯、お店までの道中、お店の外観と店内状況(店員や客の様子)、使われているであろうと予測する食材などに至るまで、ひたすら実直に描写する。食す午餐は居酒屋の日替わり定食、流行りのタピオカドリンク、機内食、ちょっと敷居の高そうなビュッフェ……などと幅広い。

 小山田自身が食べることに楽しみを見出しているからなのだろうが(ときにそれは純粋な楽しさではないこともあるのだが、だからこそ)、決して技巧派でもなく博識でもない実直な描写にもかかわらず(そして私が特に食に関心がないにもかかわらず)、グルメ番組なら撮り直しになるような「レポ」であってもそこには惹かれるものがあり、私は小山田の食しているものを食べてみたくなる。

 たとえば、おそらく二郎系と思われるラーメン屋にそうとは知らずに入り、注文で混乱する小山田を見ていたら……と書いていて気がつくのだが、私は、つまり読者は、小山田を見ているわけではない。実際には小山田が自身の振る舞いを描写した文字列を読んでいるだけなのだが、なぜか我々読者は「現場」にいるような気がしてくるのだ。二郎系ラーメンを食したことのある者は自身の記憶の中にあるその店とラーメンを思い出しながら、小山田同様に初の「来店」を果たした者は小山田の描写をもとに各々勝手に想像/創造しながら、ともに麺を啜っている。

 小山田の文章には妙な没入感があるようだ。気がつくと共に注文で混乱し麺を啜っているのだが、それは状況描写と心理描写を切り離さずシームレスに繫げていく文体に要因があるのかもしれない。時に1ページ以上にもわたって改行なしピリオドなしの描写が続き、その間にお店と食べているものと自分のこと、そしてそれらすべてを取り巻く世界のことを小山田は書き連ね、我々読者はそれを浴びる。浴びているうちに、小山田と共にご飯を食べている。あるいはもはや小山田となって自ら語りながら、ひとりご飯を食べている。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください