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口内炎と思いきや「舌がん」ステージ4。人気ヒップホップMCの“その後”「人生が暗転したような気分だった」

日刊SPA! / 2024年10月21日 8時54分

そしたら後になってビースティ・ボーイズが、アパレルブランド『MILKFED.』の創設者で映画監督でもあるソフィア・コッポラ達に“東京の面白さ”を伝えたと思うんですよ。そこで生まれた映画作品が『ロスト・イン・トランスレーション』だったかなと、90年代カルチャーが脈々と受け継がれていくのは、すごく興味深かったですね」

◆「業界人が集う秘密の溜まり場」を青山に作ったことも

2000年代に入ると、M.C. BOOさんは東京へ上京し、DJやMCなどの音楽活動やイベントの主催をするようになる。並行して、デザインや美術のネットワークを駆使しつつ、アーバンカルチャーのアーティストが手がける作品をフューチャーした「アートエキシビジョン」を開催するなど、仕事の幅を広げていった。

その当時は、吉本興業がスノーボードやサーフィンなどのストリートスポーツに力を入れ始めた時期で、その周辺のクリエイティブやプロデュース、テレビ関係の仕事も、M.C. BOOさんが会社を立ち上げて担当するようになった。

「海外アーティストを招聘し、外資系ブランドの日本展開におけるクリエイティブ制作を請け負うなど、徐々にプレイヤーからプロデューサーへと軸足を移していきました。その頃から、自分の中で“MC”の意味の捉え方をテレビの司会進行のイメージが強くなった“マスターオブセレモニー”から、マーケティングの“マスターオブコミュニケーション”に変えたんです」

クリエイティブの案件で印象に残っているのは、タバコのキャメルをプロモーションする仕事だとM.C. BOOさんは言う。

青山に「CPFギャラリー」という“アーティストの溜まり場”を作り、ギャラリー兼制作スタジオ兼タバコ吸い放題スペースを3年半ほど運営していた。

Wi-Fiやコピー機の完備、ジュースやお酒などのドリンクコーナー、DJブースなど、CPFギャラリーに来れば仕事も遊びもできる空間だったそうだ。

「CPFギャラリーのクリエイティブとして、キュレーションからクラブイベントのブッキングなどを担当したんですが、今で言うインフルエンサーマーケティングのような取り組みをやっていました。国内外のアーティストや業界人を集めて、会員のメンバーになった人はスタジオでの作業やイベントの開催ができるようにしたんです。

ドイツとスペイン、そして日本の3カ国合同プロジェクトだったので、ベルリンに行ってDJイベントをやったり、毎月海外の人気DJを招聘して結構派手にプロモーションしていました」

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