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圧倒的だった“2012年の阿部慎之助”。3割4分、27本塁打、104打点…背景には恩師からの一言が

日刊SPA! / 2024年10月25日 8時53分

◆選手寿命を延ばした「一塁手としての起用」

さらに、この年は捕手のほかに一塁手としての起用もあった。当時の彼は、バリバリ捕手でやれるだけの体力はあったが、たまに一塁手を守らせることで精神的な負担が軽減されるのではないかと思い、原監督に進言してみた。すると原監督も了承してくれて、「一塁手・阿部」として出場する機会をつくったというわけだ。

実際、これは効果があった。阿部自身、「いつもと違う光景で野球をやることで、新鮮さが生まれた」と言っていたし、後年、彼が首の故障で思うように捕手ができなくなってからは、ファーストで出場する機会が生まれた。DH制のないセ・リーグの場合、守るところがなければ代打の切り札に収まる以外にない。

それだけに、捕手以外のポジションを守る機会を設けたことが、現役としての寿命を延ばす一因になったに違いない。

<TEXT/橋上秀樹>

【橋上秀樹】
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。

―[だから、野球は難しい]―

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