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“不登校の息子”に怒りを感じていた看護師の母が、退職し第二の人生を歩むまで。今では息子と一緒に「学校に潰される」と主張

日刊SPA! / 2024年12月21日 8時52分

 自分と異なり、権力者にも平気で歯向かう長男は、“行くべき”とされる学校への登校も拒否するようになった。鳥丸さんは彼をどのようにみていたのか。

「自分とは違うなと思っていました。康介が行きしぶりを始めたのは、ちょうど小6くらいで訪れたコロナ禍がきっかけなんです。それまでは公文式や野球などさまざまな習い事をしていました。しかしステイホームが通常になると、それが解除されてからも、彼は学校に行きたくないと言い出しました。

 当時、康介に対する怒りがありました。怒りは、やるべきことをやらない彼の態度に対するものです。詳しくいえば、『自分が勤労者としても家庭人としても頑張っているのに、義務を果たさない長男が許せない』という類の感情です」(鳥丸由美子さん)

◆カウンセリングを経て、看護師をやめることを決意

 そうした負の感情を抱え続けることに耐えられず、鳥丸さんはカウンセリングを受けた。

「カウンセリングを受けると、これまでの自分の価値観がわかってきました。大きな組織でトップダウンで決められたことと理想とする看護のあり方の間で揺れ動きながらも、結局は大きな組織へ属することへの満足感を得ていることなども、俯瞰することができました。自分のようにしがらみに縛られることのない不登校の長男に、身勝手さを感じていたんだと思います。しかし、それを咎めて家族が衝突してしまっては楽しく暮らせないですよね。私は看護師をやめ、不登校カウンセラーとして生きる道を選ぶことによって、長男に固執するのをやめることができました」(鳥丸さん)

 当時の“衝突”と自らへの執着を解いた母の転換点について、康介さんは覚えていた。

「私は学校に行く意味がわからなくなって登校しないことを選択したのですが、両親から接触されるたびに『放っておいてほしい』と思っていました。あるとき、何かを言われたことに腹が立って2階から椅子などを投げたら、思っていたよりも被害が大きくなって自分でも驚きました。ただ、あるときから、これまで口うるさかった母が、『いくらゲームをしていても、もう制限をするようなことはしない』と言ってくれました。あのあたりから、母との関係も建設的になっていったなと感じますね」(康介さん)

◆「些細な決まりごと」に疑問を感じた

 そもそも康介さんが学校へ行かなくなったのは、学校の些細な決まりごとへの疑問が発端だった。

「いろんな矛盾が目につくようになってしまったんです。たとえば体育のときに“全体着座”というものがあり、どっちの手から座るとか事細かに決まっているんです。そういうことに意味を感じないんですよね。他にもツーブロック禁止、靴下や靴の色まで決められている――などの変な校則に最初から違和感を感じていました。

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