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中学卒業後に15歳で社会へ。40代で超富裕層になった「みんなと合わせられない」男性の衝撃の半生

日刊SPA! / 2025年1月16日 15時52分

「代理販売の会社から 『赤字店舗をどうにかしてくれ』という依頼が舞い込むようになったんです。 店舗のポップを外に貼るようにさせたり、夜も電気をつけさせたり、 業務改善のアドバイスが中心になっていきました。

そのうちに他にも何社かから業務委託の話を受けるようになって、『 代理店から仕事をもらうより、自分で会社を作った方が儲かるのでは?』と気付いて、17歳で合資会社を作りました」

1台あたり約3万円のリターンで、1ヶ月で100台を売って、月300万円を稼ぐまでになったという。

◆20歳で専門学校に入るも「みんなと合わせられない」

携帯電話の仕事を続けつつ、20歳になると、専門学校「資格の大原」に通い始めたそうだ。しかし、ここでも周囲に合わせることができなかったと語る。

「やっぱり、授業を一緒に受けられないんです。先生に『 じゃあ、今からみんなで問題を解きましょう』と指示されても、15分くらいで終わっちゃう。『みんなに合わせて、こんなくだらない授業を60分も受けるなんて……』って考えていました。

先生にお願いして、 テストだけ受けて、自分のペースで勉強させてもらいました。簿記1級も取れたし、大検も取れました」

勉強仲間を作ってモチベーションを維持する者もいるが、長原さんは「学校でも専門学校でも、友達は作らなかった」と断言する。

「お金がもらえないのに、人間関係に縛られるなんて嫌だなと思っていたんです」

何事にも縛られない長原さんは、携帯電話に限らず、次々と新しいビジネスに挑戦していった。

「ニュースを見ていてひらめいたバイアグラの個人輸入、iMacの購入をきっかけに知ったパチンコ攻略法、テレビの有料チャンネルが日本に進出するためのパラボラアンテナ販売、ネットワークビジネスで流行っていたプロポリスの通常販売……。稼げそうなものは何でもやりました」

ネットワークビジネス(マルチ商法)に加担していた、という意味だろうか?

「ネットワークビジネスって、中にはいいものもあるんです。 ネットワークビジネスの商品を見ていたら、プロポリスが流行っていたから、普通に買いたい人に向けて売ろうと思い立ちました。 注文が入ってから仕入れて売ればいいから、在庫を持つ必要もありませんしね」

飲食業の中の “ナイトレジャー産業”にも進出し、数々の店舗の経営にも携わったそうだ。しかし、これが富山へ戻るきっかけになったと話す。

「20歳の時、名古屋のお店から駐車場まで歩いている途中に、いきなりガラス瓶で後ろから殴られたんです。僕はみかじめ料を払わなかったから、 反社会的勢力の人たちの怒りを買っていました。当時、界隈でみかじめ料を払っていないお店は僕だけ。オープンしたら火炎瓶を投げ込まれたり、嫌がらせをされたりしていました。

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