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「25歳で武道館を借りてディスコに」「素人なのに“帯のラジオ番組”DJに」乱一世74歳の“波乱に満ちた”半生

日刊SPA! / 2025年2月3日 8時54分

最終的に「波乱一世」に落ち着いたところで、飲みに行くかってなったとき、ディレクターの一人が「すみません、この後、歯を抜かないといけなくて」って言い出して。

それを聞いた上野さんが「そんなもの痛くなる前に抜いとくんだよ!歯なんて!……歯を抜く?よし『波』取るか。乱一世だ!」って。実話です。

ーー最初に話された事務所の件といい、どんな流れもいったん受け入れる乱さんの受容力がすごいです。

乱:たぶん、昔から何に対しても俯瞰で見て面白がる性格なんでしょうね。

ちなみに『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』の台本を書いていたのが、当時まだ学生だった秋元康なんですけど、何年か経って一緒に仕事をしたとき「一世さんはプロデューサーの目を持ちすぎだ。もっと自分が前に出たほうがいい」と言われて。

こないだ会ったときにその話をしたら「そんな生意気なこと言いましたか」って彼は言ってましたけど、僕は的を得ていると思いましたね。

◆二つ返事で引き受けたナレーションの仕事で賞を取った

ーーそこからどうやって『トゥナイト』につながっていくんですか?

乱:『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のレギュラー出演が終わったとき、上野さんから「おまえもそろそろタレントやっていくならフリーだとマズいから」と、大橋巨泉事務所を紹介されたんです。

タレントになんかなるつもりなかったし、「あの巨泉さんですか?俺が最も嫌いなタイプの人間ですよ?」って(笑)。

結局、事務所に入ったんですが、当時はイベントが一年を通じて花盛りで、晴海で開催されたオーディオフェアではクラリオンという会社のブースでトークをしたりしてました。

ーークラリオンガールは烏丸せつこや蓮舫などを輩出して一世を風靡しましたよね。

乱:そこの課長さんに「君、ナレーションできるでしょ?」って聞かれ、こういう性格なものだから「できますできます」と二つ返事で引き受けて。

「カラコルム山脈にちょんまげを結った日本人のルーツがいた」というドキュメンタリー番組のナレーションを生まれて初めてやったら、その番組がフジテレビの社内賞を取って。

◆与えられた仕事を投げ出す気力がなかっただけ

ーーナレーターの才能がそこで開花したと。

乱:もともと僕はテレビに向いてないなとは思っていたんですよ。いろいろな人の話を聞いても好きなことしゃべれないし、せんだみつおさんのように開き直って自分をさらけ出さないと売れないんだろうなって思っていたし。

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