レスリング女子68キロ級・尾崎野乃香 パリ五輪で咲かせる「慶大女子初」表彰台の笑顔
スポニチアネックス / 2024年4月24日 5時3分
レスリング女子68キロ級の尾崎野乃香(21=慶大)は、慶大の女子レスラー(出身者含む)として初めて、五輪出場権を獲得した。進路選択で反対に遭い、62キロ級で閉ざされた五輪への道を68キロ級でこじ開けるなど、いくつもの難所を乗り越えてきた。(取材・構成 阿部 令)
花の都で1世紀ぶりに開催されるスポーツの祭典まで3カ月余り。遠く離れた日本でその足音や萌芽(ほうが)を感じる場面は少ないが、それでも各競技の代表選手が徐々に決まり、機運は高まりつつある。ただ、慶大湘南藤沢キャンパスはこれまでと変わらぬ日常が繰り返され、周りの友人が騒ぎ立てることもない。
「それが本当にいい。そんな感じでいいんです、私は。スポーツで世界王者になったから偉いとも、決して思わない」。キャンパスにいる限り、五輪選手も一般学生も対等。レスリングのエリート街道からあえて外れ、名門私大に身を置く選択をした尾崎には、その空気感が心地よい。
常に信念を貫いて進路を選んできた。小中学校は個性を伸ばす教育に定評があり、屋外学習を積極的に取り入れる成城学園へ。全国大会で好成績を残し、JOCエリートアカデミーから誘いを受けた際も「そのまま大学まで行こうと思っていた。成城でも五輪を目指すつもりでいた」とは母・利佳さん。だが、アカデミーに近い帝京高に通った3年後の大学選びは、思わぬ反対に遭う。
「慶応では、五輪には行けない」
学業成績は優秀で、何より学びへの意欲が強い尾崎がアカデミー関係者に進路希望を伝えると、厳しい意見が耳に届いた。慶大は練習環境や指導体制が整った大学ではなく、部は存在するものの、半世紀以上も五輪選手を出していない。五輪選手養成機関といえるアカデミー関係者が苦々しく思うのは、致し方ないことかもしれない。それでも尾崎の信念は、決してぶれなかった。
「自分で自分を奮い立たせないといけない選択だった。(強豪大は)チームがあり、先生、コーチがいて、同期がいるのは、今でもうらやましいと思う」
授業と課題、移動が伴う出稽古中心の練習の日々に、心が折れそうな時もあった。「本当に厳しいことが多い」と振り返るが、2度目の挑戦だった22年世界選手権で初優勝。パリのともしびを視界に捉え、進路選択が間違いではなかったことを証明した、はずだった。
世界女王として臨んだ22年12月の全日本選手権は2位、背水の陣だった昨年6月の全日本選抜は3位。62キロ級でのパリ五輪出場が絶望的になった時、「そういうところ(強豪大)に入っていたら、どうなっていたかな、と考えた」。後悔とまではいかない。しかし信念は、少し揺らいだ。
それでも「心の穴が埋まらないまま」(利佳さん)再スタートを切ったことが、68キロ級での五輪へとつながる。非五輪階級の65キロ級で世界選手権出場を決めた後の7月下旬、知人を通じて山梨・韮崎工の練習に誘われた。指導者は12年ロンドン五輪金メダルの米満達弘を育て、東京五輪銀メダルの文田健一郎の父でもある敏郎氏だ。
「野乃香さんは非常に攻撃力が高い。ただ、ディフェンスがぎこちなかった」。8月初旬の初練習、男子高校生とのスパーリングを見て、敏郎氏は弱点を見抜いた。同時に「すぐに来なくなるだろう」とも思ったが、その後も毎週土日、母子連れ立って練習に訪れた。「熱心に通って来るので、本気でやらないといけないなと。楽しみが増えた」。名伯楽の心にも火がついた。
練習は1日当たり4時間以上。一つの技をじっくりと指導される環境は新鮮だった。「そこまで突き詰めてくれる先生はいなかった。もっと教わりたいと思った」。9月の世界選手権で65キロ級を制した翌日、メダルを獲得すればパリ五輪代表内定だった68キロ級の石井亜海が3位決定戦で敗れた。チャンス到来。62キロ級で出た10月のアジア大会後、68キロ級に転級。わずか2カ月の準備で全日本を制し、今年1月のプレーオフでは石井に大逆転勝利。尾崎の執念、母の支え、敏郎氏の指導。さまざまなものが一体となり、劇的な五輪出場権獲得へといざなわれた。
「ここまで来たら、私にしかできないことをどこまでできるか。そこはプライドを持っているし、金メダルを獲ったら、凄いことと分かっている。だからワクワクする。私がモデルになれればいいな」。慶大女子初の五輪レスラー。これまでも、この先も、尾崎は道なき道を行く。
≪68キロ級初国際大会で優勝≫尾崎は今月中旬、キルギスで行われたアジア選手権に国際大会では初めて68キロ級で出場し、3試合連続テクニカルスペリオリティー勝ちで優勝。「相手がどのくらいの強さか、未知の世界だったが結果を残せた。相手選手と触れ合い、力負けすることはなかった」と手応えを口にした。今後は実戦予定はなく、五輪へ照準を合わせる。その本番でメダル争いのライバルとなりそうなのが、昨年の世界女王チャブシオールトスン(トルコ)、地元フランスのラロックら。同級では欧米勢との対戦がないままだが、フィジカル強化も含めて準備を進める。
▽慶大出身者と五輪 慶大出身(現役生を含む)レスラーの五輪出場は64年東京大会にカナダ代表として出場した平林興二以来、60年ぶり4人目で、女子では尾崎が初めて。52年ヘルシンキ大会では北野祐秀がフリースタイル・フライ級で銀メダルを獲得している。近年、他競技では12年ロンドン大会競泳男子200メートル平泳ぎ銅の立石諒、フェンシング男子フルーレ団体銀の三宅諒、16年リオ大会陸上男子400メートルリレー銀の山縣亮太、21年東京大会アーチェリー男子団体銅の武藤弘樹らのメダリストを輩出。尾崎はレスリングとして72年ぶり2度目、そして全競技を通じて女子初のメダル獲得にも期待がかかる。
◆尾崎 野乃香(おざき・ののか)2003年(平15)3月23日生まれ、東京都出身の21歳。08年北京五輪で銅メダルを獲得した浜口京子を見たことをきっかけに、レスリングを開始。小5で初の全国制覇を果たし、その後も数々のタイトルを獲得。世界選手権は初出場だった21年に62キロ級で3位、22年優勝、23年は65キロ級で優勝。成城学園小中、帝京高を経て、21年4月に慶大環境情報学部に入学し、現在4年生。1メートル66。名前の由来は「春の野の息吹のように、周囲に優しい影響を与える人になってほしい」(利佳さん)との思いから。
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