殿堂入りの岩瀬氏 一番の思い出は07年日本シリーズ完全試合締め「今でもゾクッとするくらい緊張感走る」
スポニチアネックス / 2025年1月17日 5時48分
野球殿堂博物館は16日に都内で今年の殿堂入りを発表し、プレーヤー表彰ではプロ野球最多の407セーブを挙げた元中日・岩瀬仁紀氏(50)が日米通算4367安打を記録したイチロー氏(51)とともに選ばれた。
プロ野球記録の通算1002試合登板、歴代最多407セーブ、15年連続50試合登板…。不滅にも見える金字塔を打ち立てた岩瀬氏が、一番の思い出に挙げたのは07年11月1日の日本ハムとの日本シリーズ第5戦。8回完全だった山井大介(現中日投手コーチ)を9回に救援し、継投による完全試合で日本一を決めた。
「山井が完全試合をしている中で9回を投げた。おそらく、この先出てこないんじゃないかというリレー。今でもゾクッとするくらい緊張感が走るし、ましてや日本一が決まる試合。できてホッとした感覚が凄く記憶に残っている」
大学、社会人を経て24歳でプロ入り。抑え転向は6年目の04年、30歳になるシーズンからセーブを積み上げた。20年間の現役で先発は2年目の一度だけ。「常に前を向いてきた」と救援に命を懸けた自負がにじんだ。
「24歳でプロの世界に飛び込み、こうやって殿堂入りしたと聞いた時、うれしいと同時に“本当にいいのかな”と。記録を現役中に振り返ることはなかった。終わって初めて“よくこんなにやったな”と思った」
愛知大時代は外野手としても注目された。「打者で(プロ入り)は想像したことはないけど、そんなに長くできなかったと思う」。投手に専念した社会人時代に宝刀スライダーを習得。抜群の制球力や球速以上にキレる直球に加え、強靱(きょうじん)な体とメンタルで、史上最高の守護神にまで上り詰めた。イチロー氏と同じ愛知県出身。「何か運命的なものを感じますし、大変光栄」と晴れ舞台に笑みがこぼれた。(山添 晴治)
◇岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日生まれ、愛知県出身の50歳。西尾東から愛知大、NTT東海を経て98年ドラフト2位(逆指名)で中日に入団。1年目の99年に中継ぎとしてリーグ最多の65試合に登板、10勝を挙げた。最多セーブ5度、最優秀中継ぎ賞3度。通算1002試合登板、407セーブはいずれもプロ野球最多記録。04年アテネ、08年北京五輪出場。左投げ左打ち。
▼中日・井上監督 これから先も、1000試合登板する投手は出てこないのではないかと思う。公私ともに付き合いは深かったが、私生活でのオーラのなさ、弱々しい岩瀬という一方で、体の強さは、無事これ名馬ではないけど、淡々と金字塔を立てた。
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