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川田利明「麺ジャラスK」15周年「三沢さん、ラーメン屋はそんな甘いもんじゃなかったですよ!」

東スポWEB / 2024年6月16日 10時15分

看板メニューのカレー白湯ラーメン(写真左上も)を持つ川田

全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者で“デンジャラスK”こと川田利明(60)のラーメン屋「麺ジャラスK」は、来年で15周年を迎える。5月上旬には経営の苦闘を語った「プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る」(宝島SUGOI文庫、税込み990円=注1)が発売され、アマゾンでベストセラー1位を記録するなど話題を呼んでいる。四天王プロレスで一時代を築いた男が見た地獄とは――。

――地獄とは衝撃的なタイトルだ

川田 資本金1000万円は開店の年にすぐ消えた。俺は「ベンツを3台鍋に溶かした」と言ってるけど、その年にベンツ3台を売って生命保険も解約して私財を切り崩して何とかやってる。開店から14年間、ずっと赤字。今が一番、客足が途絶えてるかな。ただ10年続くラーメン屋は1割と言われる中で何とかやってきたかなとは思う。


――なぜそこまで

川田 意地と性格だろうね。俺はレスリング(足利工大付属高)でも全日本でも「どうせ逃げ出す」と言われ、意地になって絶対に辞めなかった。同じように今、意地になってる自分がいる。辞めてもやることがない。辞めるにも金がかかるし。

――引退はしていないが2009年に一線を退いた

川田(故ジャイアント)馬場さんの下でいわゆる四天王プロレスをやってた時期は本当にキツかったけどプロレスに専念できた。馬場さんがいて、大きなものに守られてる自分がいたから自由にできた。今の仕事は守ってくれるものは何もない。自分で自分を守るしかない。(夫人の)元子さんが全日本から撤退してからは苦労しかなかった。俺は全日本に骨を埋めるつもりだったんだけどね。フリーになって一線を退き、たまたま選んだのがラーメン屋だった。

――セミリタイアしたのはやはり…

川田 三沢さん(光晴=09年6月13日に試合中の事故で死去、享年46)が亡くなったから。高校時代から一緒にプロレスをずっと追い求めてやってきて、背中を見ていた人が亡くなったら気持ちが切れてしまう。プロレスに対する情熱がスーッと冷めていった。それで初めてセカンドキャリアを考えた。

――我々に見えない絆は深かった

川田 時々、馬場さんが「よっ」とフラリと入ってくるような気もする時もある。あと天国の三沢さんには、全日本を辞めてノアを旗揚げする時「ダメだったらラーメン屋でもやるか」って言ってたけど「三沢さん、ラーメン屋はそんな甘いもんじゃなかったですよ!」って言いたい(笑い)。

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