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〝石丸旋風〟をしのぐアントニオ猪木の都知事選出馬表明 土壇場で断念した「ウラ事情」

東スポWEB / 2024年7月14日 10時5分

新都庁をバックにポーズを取る猪木議員(1991年3月、西新宿の東京都庁)

【プロレス蔵出し写真館】7月7日に投開票された東京都知事選は小池百合子氏が3選を果たした。終わってみれば予想通りの結果で小池氏は結局、2位の石丸伸二氏に100万票以上の大差で圧勝した。常連ともいえる(?)ドクター・中松氏を始め、過去最多の56人が立候補した。

さて、今から33年前の1991年(平成3年)2月7日、4月の都知事選に出馬を表明したのはアントニオ猪木だった。

この都知事選には、小沢一郎幹事長の主導により自民党は公明党・民社党と相乗り(自公民路線)でNHKのニュースキャスター磯村尚徳を擁立した。

猪木は磯村の出馬表明に、院内会派を組む民社党からひと言も話がなかったのはおかしい。一石を投じる、と出馬に前向きな姿勢を示していた。

2月7日、参院議員会館で会見した猪木は「(昭和)51年のモハメド・アリ戦(6月26日、日本武道館)で放送なさった磯村さんが出るから出る。磯村さんはアリ戦を(『ニュースセンター9時』で)〝NHKでは取り上げるべくもない茶番劇〟と言ったのを忘れてはいない」と、打倒・磯村を公言して正式に出馬を表明した。

スポーツ平和党党首で参議院議員の猪木は、前年12月に単身イラクに乗り込み、人質となっていた在留邦人の解放に成功していて非常に支持率が高かった。

識者は「猪木が出て来て浮動票をかっさらう可能性がある」「ムード選挙戦。磯村に流れる票が猪木に流れることも出てきた」と予測した。

3月8日、猪木は翌9日に落成式を迎える新都庁を見学して気勢を上げた(写真)。かつての弟子でユニバーサルプロレスのグラン浜田とバッタリ遭遇するハプニングもあった。

ところが、事態は急展開する。11日、福田赳夫元首相と会談した猪木は出馬を断念するよう説得された。その場では態度を保留していた猪木だが、翌朝に断念する決意を固めた。

そして12日、告知日の3月18日を前にして正式に出馬することを取りやめたのだった。

当時、東スポで「永田町の熱闘」を執筆していた政治評論家の菊池久は「自・公・民3党統一候補の磯村必勝の一本化のため、磯村票を食う猪木降ろしに27億円が用意され、説得に当たった。なぜ27億円の評価なのか?小沢執行部が猪木の借金を全部肩代わりする形をとった」と暴露した(27億の出どころは猪木のタニマチといわれた)。

「説得に当たったのは安倍派の元文相・森喜朗、大元老・福田赳夫、実弟の参院議員・福田宏一、同派事務総長・三塚博。15億円は安倍派に渡った。猪木にはいくら渡ったのか実態は不明だ」と菊池は書いた。

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