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「政経電論TV」佐藤尊徳氏 安倍元首相に助けられた人生最大の〝巻き込まれ事故〟

東スポWEB / 2024年7月16日 12時16分

正忠氏といえば知る人ぞ知る政財界の“フィクサー”だ。1928年に秋田県で生まれ、「経営の神様」と言われたリコー社長の市村清氏に仕えた。新日本製鉄の永野重雄元会長、中内功ダイエー元社長など超一流経営者たちと親交が生まれた。その後「経済界」を立ち上げ、2013年に他界するまで政財界ににらみを利かせた。

尊徳氏が秘書になった時、御年63歳。とにかく朝が早かった。午前3時には起床し、その50分後には電話がかかって用件を伝えられる。正忠氏は午前6時に出社するため、その15分前には会社を開けなければならなかった。

「せっかちで、とにかく時間に厳しい。10分前行動は絶対。だって名古屋に正午の予定でも前泊するんだもん。休み? 1か月に1回あればいい方。一度も褒められたことがないよ」

だが、正忠氏と行動を共にすることでネットワークのつくり方から要人との渡り合い方、所作に至るまで叩き込まれた。

「3年で辞めるつもりが、気づいたら22年間もいた」

そんなある日、知人に紹介されたのが、まだ3回生議員だった故安倍晋三元首相だった。

「この人はいいな、と思った。理由はわからないけどピピピときた(笑い)。そこで僕ら年齢の近い経営者らを集めて安倍さんを囲む会を始めたんです」

その名も「夜明けを待つ会」。3か月に1度会食したほか、井川氏とのクローズドな会も定期的に行った。それだけに安倍さんとのエピソードには事欠かない。人生最大のピンチを助けられたこともある。

それは13年に「経済界」を退職し「政経電論」を立ち上げた時のこと。見城氏をはじめ、仲の良い企業家から出資してもらうことになった。ちょうど井川氏がいわゆる大王製紙事件で懲役4年の刑が確定したころだった。そんな井川氏を慰めるため、見城氏が電話をかけるも出ることがなく、コールバックもない。ところが、サイバーエージェントの藤田晋氏とは電話したことがわかり、見城氏はカンカン。「藤田には電話があるのにオレにはない。その親友であるお前には出資できない」と言われたという。

「え~!とこっちは完全に巻き込まれ事故ですよ。井川さんは事情があって藤田君に電話しただけなんだけど…。それで秘書に『ほんとめんどくせえ』とメールを送るつもりが、見城さんに送っちゃった(笑い)。顔面蒼白です」

GMOの熊谷正寿氏やネクシーズの近藤太香巳氏など周囲の企業家が動くも、なかなか関係が修復しない。そんな大ピンチの時、仲介したのが安倍さんだった。食事会がセッティングされたのだ。

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