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神様ゴッチの“息子”木戸修の数奇な運命 「もう1日早ければ…」幻に消えたジャパン・プロレス入り

東スポWEB / 2024年7月28日 10時6分

UWFの後楽園大会に現れた木戸(左)はゴッチと笑顔でアイコンタクト(1984年9月、後楽園ホール)

【プロレス蔵出し写真館】今日、7月28日は〝神様〟カール・ゴッチの命日。2007年に亡くなってから17年がたった。ゴッチが眠る東京・南千住の回向院の水野佳昭住職が、命日に必ずお参りに来るのは藤原喜明と教えてくれたが、今年も顔を見せるだろうか…。

さて、多くのレスラーに慕われたゴッチが〝我が息子〟と呼んだのは〝いぶし銀〟と称された木戸修だった。

木戸は1975年(昭和50年)に藤波辰巳(現・辰爾)とともに西ドイツ遠征に出発し、その後、米国に渡りフロリダ州タンパ郊外オデッサのゴッチを訪ねて師事した。82年(昭和57年)1月8日に新日本プロレス、後楽園ホールで行われたゴッチの引退試合の相手を務め、最後のジャーマンスープレックスホールドを〝頂戴〟した。

木戸の一大転機となったのは84年の9月11日。新日プロのシリーズを欠場中だった木戸がユニバーサルプロレス(旧UWF)の後楽園大会に姿を見せ、報道陣は色めき立った。控室で浦田昇社長を始めスーパー・タイガー(佐山サトル)、前田日明らと握手をかわし、ゴッチとは笑顔でアイコンタクト(写真)。

浦田社長、伊佐早敏男企画宣伝部長を伴って記者会見に臨んだ木戸は「ゴッチの『一からやり直してみないか』というひと言に共鳴、心機一転を決意した。(新日プロに)未練はなにひとつない。UWFは魅力あるプロレス団体だし、10月5日の次期シリーズからはガンガン暴れたい」と語り、まさかの新日プロ脱退、UWFへの電撃移籍を発表した。

木戸は8月24日に開幕した新日プロ「ブラディ・ファイトS」に参戦していたが、28日の甲府大会に出場以降、腎盂炎(じんうえん)の疑いで29日の東京・立川大会から欠場して川崎市内の日本鋼管病院に入院、精密検査を受けていた。9月6日に、UWF最高顧問のゴッチと藤原が病気見舞いを兼ねて木戸と接触して、UWF入りを打診した。

即答を避けた木戸だが、会見で述べたゴッチの言葉が決め手となり、10日深夜、UWF入りを決意。UWF側にその旨を伝え、11日午前に正式契約した。

会見後はリングに上がり観客にも報告。大会終了後には東京・赤坂のチャイニーズ・レストラン「狗不理」で打ち上げを兼ねて歓迎会が行われた。

ところで、新日プロは木戸の移籍にとどまらず、選手大量離脱という大激震に見舞われる。

9月20日、大阪でシリーズが終了した翌21日、新日本プロレス興行KK・大塚直樹社長による長州力、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇の維新軍5人の引き抜きが発覚した。電光石火で同日、東京・永田町のキャピトル東急ホテルで移籍会見が行われた。

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