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全日・和田京平レフェリーを変えたジャイアント馬場さんからの啓示 札付きの不良が「王道の番人」に

東スポWEB / 2024年8月25日 10時5分

90年代には黄金期の「四天王時代」が訪れる。三沢光晴、川田利明、小橋建太(当時健太)、田上明に秋山準を加えた「激しく厳しい」プロレスだ。

和田氏は「馬場さんが『やはりプロレスは完全決着、3カウントでなければいかん』と言ったのが契機だった。ジョーさんにも『オレにはあいつらの試合はもう無理だ。お前に任せる』と言われた。やってるうちに本人たちもテンションが上がってどんどん3冠戦や世界タッグの試合内容はエスカレートしてお客さんは熱狂した。オレもあの時代を支えていたという自負はありますね」と胸を張る。

この時期には馬場さんから「お前は日本一、いや世界一のレフェリーだな」と最高の賛辞を得た。しかしその後は99年に馬場さんが逝去。鶴田さんの死(2000年)、00年6月には三沢らの大量離脱というつらい事件が続いた。

「馬場さんが亡くなった時は『長い間、お世話になりました』と枕元で頭を下げた。一瞬、涙が出たけど、後はこれからをどうするかで頭がいっぱいになった。ただ『(夫人の)元子さん(18年没)は俺が最期まで守ります』という誓いは守り抜いたと思う」と和田氏は言う。

ノアを旗揚げした三沢らには「来る時が来たという気持ちだった。大木が倒れたら、周りの小さな木に光が当たり大きく育つのは当然。だから仕方ないなと。今の全日本も大木から分かれた枝の木だから頑丈で大丈夫ですよ」と受け止めている。

その後は元子さん体制から数回の社長交代を経て、11年には一度離脱するも、わずか2年で名誉レフェリーとして復帰。今年50周年を迎えた。7月、8月にも3冠戦を裁き、7月のマリーゴールド両国国技館大会でWWEのイヨ・スカイ対林下詩美戦を裁くなど、他団体からの信頼も厚い。

「今は(前)3冠王者の安齊(勇馬)、宮原(健斗)、青柳優馬と亮生、斉藤ブラザーズと充実している。全日本の名前は消しちゃいけないし、消えないと思う」と確信する。

今年11月には古希を迎えるが「2万試合は裁いたかなあ。そこまでいってないと言うやつがいたら2万回やってやるよ(笑い)。次は55周年、60周年が目標。“第2の和田京平”が出てくるまではやめられないね」と笑顔を見せた。

50年を過ぎても、和田氏は自分の鼓動を確認するように、連日硬いマットを全力で叩き続ける。 (敬称略)

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