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「岡本綾子かJBエンジェルスか」クラッシュ・ギャルズ、極悪同盟より米国で有名だった伝説タッグ

東スポWEB / 2024年9月1日 10時15分

好連係を見せる立野(上)と山崎(左)のJBエンジェルス(1987年11月、米ニューヨークMS・G)

【プロレス蔵出し写真館】8月25日、マリーゴールド新木場大会で日本ラストマッチを終えたジュリアのWWE移籍が秒読み段階だ。

さて、日本人女子レスラーが初めてWWE(当時はWWF)のリングで試合をしたのは、今から38年前の1986年(昭和61年)3月。全日本女子プロレス「クラッシュ・ギャルズ」の長与千種&ライオネス飛鳥、「極悪同盟」ダンプ松本&ブル中野だった。1週間サーキット(米マサチューセッツ州ボストン、ニューヨーク州ポキプシーなど)して、最終日の3月16日には総本山のニューヨークMS・Gにも登場した。

ブルが殿堂入りして話題となったが、ブルより前に観客を沸かせていたのが立野記代&山崎五紀組の「ジャンピング・ボム・エンジェルス(JBエンジェルス)」だ。

85年9月26日、大宮スケートセンターに姿を見せたWWF海外進出部門のジェームス・E・トロイら関係者は、「フレッシュコンビ」と呼ばれていた立野と山崎を指名した。しかし全女側は当時、大人気を誇っていたクラッシュを1番手に推薦。クラッシュは渡米して10月21日、マジソンのリング上で「日本のタッグチャンピオン」と観客に紹介され、翌年の出場に至った。

立野と山崎は翌86年1月に「JBエンジェルス」と改名。そして翌87年6月21日に渡米する。8月にいったん帰国したが、秋に6か月の長期契約を結び再渡米した。

全米をサーキットしてWWF世界女子タッグ王者グラマー・ガールズ(レイラニ・カイ、ジュディ・マーチン組)のライバルとして抗争を展開。11月24日にはMS・Gに登場し、ベルトに挑戦した。

試合はJBが圧倒し、スープレックスや合体パイルドライバーなどで攻め立てた。山崎がマーチンを投げ、ポスト上段から立野がニードロップを見舞う好連係を見せる(写真)。しかし、よもやの逆転負けを喫し王座奪取はならなかった。2万人の観衆は総立ちで〝ジャンピング・ボム〟の大コールでJBをたたえた。

翌88年1月24日、カナダ・オンタリオ州ハミルトン・コップスコロシアムの「ロイヤルランブル」で、ついにグラマー・ガールズを破り日本人として初めて王座奪取に成功。3月28日にベルトを持参して帰国した。

フジテレビで全日本女子プロレス中継の解説を務めた宮本久夫さんはJBについて「ナンバーワンタッグ。日本ではクラッシュの陰に隠れちゃったけどバランスの取れたいいチームですよ。(WWFに)スカウトした人もちゃんと見てるんだよね」と語る。

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