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小林邦昭さん「最期の9日間」力を振り絞って参加した愛娘の誕生日会 新倉史祐が明かす

東スポWEB / 2024年9月15日 10時3分

新日本に亡くなったことが伝えられ、後楽園大会の控室で選手たちに明かされた。

新倉は小林さんとの付き合いを振り返り、「バレンタインデーでチョコレートが段ボール2箱分届いてました。タイガーマスクのマスク剥ぎする前。メキシコ行く前の話です。もう断トツでした。等々力の自宅にはいつも女性が5~6人は遊びに来てましたね。多いときには10人くらいいました」とモテエピソードを披露した。

そして、優しいだけではなかった小林さんの意外な一面も教えてくれた。

「小林さんとオレが呼ばれたある宴席で、ガタイのいいゴツイ方が『技、効くんですか? かけてもらっていいですか』って言ってきたんですよ。ありがちな話ですよね?」と笑い、さらに続ける。

「小林さんに『新倉、ヘッドロックでもかけてやれよ』って命令されたんですが、悪いと思って軽めにかけたんです。そしたらその方が〝こんなもん痛くない〟って顔したんですよ。小林さんはムッとして『オレがやるよ』ってフェースロックを七、八分の力でガーッとかけたんです。そしたらミシミシ!って音がして。その人それからしゃべんなくなって、メシも食わなくなっちゃったんですよ。多分、頬骨にヒビでも入ったか、歯がどうかなっちゃったのかな。(小林さんは)そういうプライドを張った人だった。こんなことをする人なんだって、改めて感心しました」と振り返った。

ところで、新倉も9日に新日本から「(小林さん)駄目だった」のメールを受け取った。10日に再度、見舞うことを長女に伝えていたが、小林さんの容体が危うい状態だった8日、9日の夕方にも長女から電話が入るなど、信頼されていたことがうかがえる。

最期の日も、夜0時30分過ぎに娘から感謝の電話があったという。

「お姉ちゃんが『新倉さん、ありがとうございました。みかん食べてから元気になって、妹の家に行けて誕生日会もできた。最期にそれができたことが、私たちはなによりです』。オレにそう言ってくれました」

2人の娘は、父の通夜と葬儀の喪主を務める(敬称略)。

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