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中日ナインから続々エール SKE48新センター・熊崎晴香のド根性ヒストリー

東スポWEB / 2024年10月5日 17時10分

脈拍ポーズをとる熊崎晴香(左)とライデル・マルティネス

【取材の裏側 現場ノート】アイドルグループ「SKE48」の熊崎晴香が33rdシングル「告白心拍数」(10月2日発売)で初のセンターとなった。アイドル12年目でたどり着いた念願のゼロポジション。だが、ここまでの道のりは決して平たんなものではなかった。

熊崎は2012年11月、中学3年生のときにSKE48の第6期生オーディションに合格した。6期生のお披露目写真では最後列の端っこで、研究生公演でも3列目からのスタート。決して〝推されメン〟ではなかった。

それでも「前に出たい!」「てっぺんを取りたい!」と全力パフォーマンスを続けるうちにポジションは次第に前へと進んでいく。正規メンバーへの昇格が発表された直後の14年3月には先輩・松村香織が撮影&編集した動画の中で「センターになりたいです!」と宣言した。だが、その直後、アイドル生命の危機に直面する。

14年4月に埼玉スーパーアリーナで行われたコンサート中にステージから転落。右手首骨折で全治3か月の大けがを負い、活動休止となった。正規メンバーに昇格してさあ、これからというときに熊崎を襲った悲劇。だが不撓不屈の根性で7月にステージ復帰すると、15thシングル「不器用太陽」で初の選抜入り。以降、現役メンバーの中では最多となるシングル16曲で選抜メンバーとして活躍し、グループを代表する存在となった。

人気メンバーとなった後も挫折の危機は何度もあった。特に大変だったのが大学進学後のアイドル活動との両立だ。当時はSKE48だけでなく、AKB48の握手会にも参加しなくてはならず、土、日は毎週のように東京、名古屋、大阪などで握手会(1日5時間以上)の予定が組まれていた。

大阪で握手会があるときは土曜深夜のレギュラーラジオ番組に出演するためにイベント終了と同時に新幹線に乗って東京へ移動。午前1時から午前4時までラジオに出演するとすぐにホテルに戻り、シャワーだけ浴びて始発で大阪へとんぼ返り。2日目の握手会を終えて新幹線で夜遅くに名古屋へ帰ると翌日は早朝から大学の授業に出なくてはならない。ぎっしり詰まったアイドルのスケジュールと学業とを両立させようと必死にもがく毎日に体重は激減した。

それでもSKE48のセンターになることをあきらめなかった。共に夢を目指し、支えてくれたファンの存在がエネルギーとなって学業との両立を成し遂げ、卒業証書を手にした。

熊崎は今季から東京スポーツのドラ番として中日ドラゴンズの取材を行っている。現役アイドルがプロ野球記者として活動するのは史上初のこと。開幕前には本人を交えて事務所サイドと何度もミーティングを重ねた。

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