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初のワンマッチ興行は1987年の藤波辰巳 vs 木村健吾 後楽園に700人入れず「両国にすればよかった」

東スポWEB / 2025年2月9日 10時8分

木村健吾(右)の稲妻レッグラリアートが藤波辰巳にさく裂(1987年1月、後楽園ホール)

【プロレス蔵出し写真館】2月16日に後楽園ホールで行われるウナギ・サヤカの自主興行「殿はご乱心 我が名は」で、女子プロレス初のワンマッチ興行でウナギ vs 里村明衣子の一騎打ちが行われる。

日本で史上初のワンマッチ興行が行われたのは、今から38年前の1987年(昭和62年)1月14日の新日本プロレス、後楽園ホール大会。藤波辰巳(現・辰爾)と木村健吾(後の健悟)がシングルマッチで激突した。

前年の12月10日、木村の挑戦状に端を発し、大阪城ホールで4年ぶりに藤波 vs 木村のシングル対決が実現した。結果は12分30秒、藤波が前方回転エビ固めで勝利。東スポは「期待はずれの小技V」と辛らつな小見出しを付けた。

2人も不完全燃焼と感じたようで、年明け早々の再戦を訴えた。

年が明けると、1月2日の後楽園大会で実現。木村は「負ければ日本を離れる」と宣言した。その当時、練習していたボクシング風のパンチ攻撃で圧倒し、最後は稲妻レッグラリアートで藤波から3カウントを奪った。ところが、木村の左スネに当てているサポーターから鉄製の凶器がこぼれ落ち、場内は騒然。結局、ノーコンテストと判定が覆った。

木村は「藤波を潰すことしか考えてない」。そう、うそぶいた。それを伝え聞いた藤波は、翌3日の後楽園大会での再々戦をアピール。荒れた試合となり、両者ともパンチ、キックを乱打。藤波は木村を流血させると、制止に入ったミスター高橋レフェリーを2度投げ飛ばし、あっけなくゴング。わずか4分22秒で藤波の反則負けとなった。

試合後に揉み合う両雄に「やるなら正々堂々とやれ。オレがレフェリーをやってやる」。アントニオ猪木がそう言って、ようやく収まった。坂口征二副社長の口からは「このシリーズ中に藤波 vs 木村の1試合だけの興行をやらせる。場合によっては、客を入れないでやることになるかもしれない」とワンマッチ興行を示唆する発言が飛び出した。

木村は翌日の川崎大会を無断欠場。藤波は「今晩、木村と直接連絡を取って話し合う。14日に後楽園ホールを仮押さえしてあるので、やる意思があるのかないのか確かめる」と語り、事実上、ワンマッチ興行が決定した。

7日に東スポは雲隠れしていた木村をキャッチした。木村は足立区保塚町の吉原整体治療院(吉原達夫院長)で治療中だった。木村は、写真映えはするが、ともすれば強引とも思える施術を耐えていた。

木村は「自分は負ければ日本を離れ、海外で修行し直す覚悟を固めた。藤波も同じ決意で、この一戦に臨んでもらいたい」と厳しい表情で決意を語った。

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