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「渋谷ハロウィン中止」に見る日本の不寛容の本質 イベントで街占拠が当たり前の国も

東洋経済オンライン / 2023年11月15日 9時0分

(写真:Michael Steinebach/アフロ)

私は世界中をパソコンを抱え、旅しながら生活するいわゆるノマド、FIRE生活を送っています。

よく海外から見た日本社会のここが変、あるいはその逆のここが素晴らしい、といったことが話題になります。こういう記事で気になるのは、「だから日本は素晴らしい」「だから日本はダメだ」という結論ありきで、なんで日本はそうなのか、という考察が足りないことです。

生まれつき有能な民族も無能な民族も存在せず、社会の仕組みや感覚の差があり、その集合体の日本という国や、別の国の個性があるわけです。

ただ、日本が他人のマナーに厳しかったり、とにかく騒がれるのが苦手な民族であることは、疑いがないようです。でも、なぜなんでしょうか。記憶に新しい渋谷のハロウィン中止騒動を見ていて、「ああ、これはいかにも日本の現象だな」と思いました。

カラオケを生み出した日本人は騒ぎたい人種

まず、大前提としてどの国民であろうとも、一部の若者(若者じゃない人も)は街に繰り出して騒ぎたいのです。これは日本人であろうがどこの国であろうが大差はありません。いや、日本人はそんなに騒ぐ民族ではないぞ、という方もおられるかもしれませんが、例えばカラオケボックスを作ったのは日本人です。

カラオケを、歌のうまい素人の友人の歌をしっとり聴く場所だと思っている方は少数派でしょう。あれは盛り上がるための場所です。ただ、防音で区切られているため外に音漏れが少なく、だからこそ気を遣う日本人でも盛り上がって騒いで楽しめる空間となっています。

つまり、日本人も含むすべての国の一部の人は騒ぐのは好きだが、日本人は他人が騒いでいることに不寛容、あるいは騒いでいるところを他人に見られることは恥である、と考える民族と言えるかもしれません。

先に私見を述べておきますと、かつて渋谷に住んでいた際、会社からの帰宅途中にハロウィンの行列に巻き込まれたことがあります。私自身は仮装パーティに興味がありません。しかし、年に1回ならこんな日があってもいいなと思えました。つまり、やってもやらなくても「どうでもいい」というスタンスです。

ベルリン地下鉄のメッセージ「どうでもいい」

さて、「どうでもいい」はドイツ語で Is mir egal と言います。実はドイツのベルリンの地下鉄のキャンペーンで作られた曲で同名の曲があります。数年前に日本でも話題になったんですが、その動画が面白いので興味がある方は一度ご覧になってください(→BVG - „Is mir egal", ft. Kazim Akboga)。

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