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鹿児島「鉄道廃止」と関係なく発展した街の現在 旧大隅線古江―志布志間、人口約10万の鹿屋市

東洋経済オンライン / 2023年11月29日 6時30分

希少価値があった鹿児島交通の高須経由鹿屋行きバス(筆者撮影)

ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。しかし現実には鉄道の乗客が高齢者と高校生だけとなり、利用客数が極端に減少してしまったからこそ廃止論議が起こる。消えた鉄道の沿線地域と、鉄道を代替した公共交通機関は今、どうなっているのか。今回は人口の多さでは鹿児島県内屈指の鹿屋市を中心とする、大隅線の古江―志布志間を見る。


大隅半島は大きく、根元に当たる国分から南端の佐多岬までは110km以上ある。鹿児島市は桜島を挟んで対岸の薩摩半島にあり、古来、大隅半島の多くの町からは、国分を経由するより、錦江湾を船で渡ったほうが、はるかに短い所要時間で到達することができた。

【写真を見る】鉄道が消えても街の発展には関係なかった?1987年に廃止された国鉄大隅線の古江―志布志間には現在、どんな公共交通機関があるのだろうか。

当初ほかの鉄道と接続がなかった

そのため、1987年3月14日に廃止された国鉄大隅線の前身である南隅軽便鉄道は、1915年に高須(後の大隅高須)―鹿屋間を最初の開業区間とした。さらに1916年には大隅鉄道と改称して路線延長を図り、1935年に国に買収された際には古江―鹿屋―串良間で営業していた。

私鉄時代には、最後までほかの鉄道との接続がなかったのだ。しかし、古江では航路と接続しており、鹿児島方面への輸送は海運との連携が前提の鉄道計画であった。

国分から鹿児島交通の路線バスを乗り継ぎ、古江に11時12分到着。ここから鹿屋方面へのメインルートである国道220号は内陸部へ入るが、鉄道は高須を経由していたので、そちらへ向かう。

現在では鹿児島交通の2023年10月1日ダイヤ改正による大幅減便により、古江―高須間は1日上下2本しかバスの便がなくなったが、取材時には古江港前11時52分発の高須経由鹿屋行きに乗っている。古江港前バス停は旧国鉄古江駅前でもあり、鉄道と海運の結びつきの強さを感じさせる。バスは海を右手に見て走るが、湾岸沿いルートの需要はわずかと察せられ、この時も先客はなかった。

高須からは国道269号に入り、一気に坂を登る。南九州の特徴的な地形、シラス台地だ。水利に乏しいため稲作ができず苦しんだ土地だが、今はサツマイモなどを中心とする畑作地帯となっている。

駅があった野里を過ぎると、いきなり右手に、まるで空港のような施設が現れ、滑走路を回り込むように走る。1936年に設けられた海軍の基地を前身とする、海上自衛隊鹿屋航空基地だ。周囲は都会的な風景になり住宅地の中に入る。団地があり、バスにも乗車があった。

鹿屋は大隅半島の中核

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