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パレスホテルに10年住む総支配人の「改装秘話」 黒船襲来で決断「過去のすべてを捨てた」大改装

東洋経済オンライン / 2023年12月2日 11時10分

わたなべ・まさる/1964年生まれ。1987年早稲田大学卒業、パレスホテル入社。2010年にホテル開業準備室副室長に就任し、2012年からパレスホテル東京総支配人。総支配人歴は都内名門ホテルでは指折りの長さだ(撮影:梅谷秀司)

富裕層インバウンドの増加を見据え、外資系高級ホテルの開業ラッシュを迎えている。今後5年で開業する高級ホテルの8割が外資系という驚きのデータもある。出店で劣後する中、帝国ホテル東京やオークラ東京、ホテルニューオータニの元祖「ホテル御三家」をはじめとする国内系ホテルに巻き返し策はあるのか。

各ホテルの宿泊部門から食事までホテルのすべてを取り仕切る「顔」ともいえる存在である総支配人たちは、激変するホテル業界をどのように見つめているのだろうか。4人の名物総支配人に直撃をする。

トップバッターは、パレスホテル東京の渡部勝総支配人。2012年の大改装を経て、「外資系ホテルと唯一戦える国内系ホテル」という評価が業界関係者からは上がっている。開業以来、総支配人を務めている渡部氏に成功の舞台裏を聞いた。

緊張感があるためホテルでは熟睡できない

――都内でリブイン(ホテルに住み込みで働くこと)の総支配人は珍しいですね。

【秘蔵写真】「2009年に壊した時は涙が出た」改装前のパレスホテル

(2012年5月の)開業の前からパレスホテル東京にずっと住んでいる。今年は自宅には1回しか帰っていない。ホテルの暮らしの中に生活があり、ライフワークそのもの。

仕事かプライベートで海外に1週間行くと、家ではなくてホテルに帰りたいなと思うし、パレスホテル東京のロビーに帰るとすごく安心する。とはいえ緊張感があるためホテルでは熟睡できない。

48年の歴史を持っていた前身のパレスホテルを2009年に壊したときは涙が出た。壊してまでホテルを作るのだから、先人のためにもいいホテルを作らないといけないという覚悟が生まれた。(開業総支配人としての)生みの苦しみもあり、このホテルが好きなんだと思う。

――総支配人になった経緯を教えてください。

1987年に入社して、4年間はハウスキーピング(客室の清掃・整備)やベルスタッフなど現場をやっていた。その後、サンフランシスコへの研修などを経て、海外営業に配属された。

もともとは海外営業部立ち上げのタイミングで先輩に「こないか」と誘ってもらったが、その先輩がすぐにやめてしまった。そこから10年くらい海外営業の責任者を務めた。

レンタカーを運転しながら悔し涙を流した

海外営業はとても楽しかったが、悔しい経験をしたこともある。アメリカ出張である有名企業に営業へ行ったときに、パレスホテルについては何も聞かれず、ほかの国内の老舗ホテルについてばかり聞かれた。

帰りはレンタカーを運転しながら悔し涙を流した。海外の顧客にうちのホテルを知ってもらうにはどうしたらいいんだろう、と当時から考えていた。

その後、開業準備室に入り、総支配人に就任した。業界を見渡しても、私ほど若い(当時、渡部氏は47歳)総支配人は珍しかったと思う。小林節社長(現会長)は、外国人総支配人を招くという考え方もあったと思う。

しかし、パレスホテルのDNAを持っている私に総支配人をやらせてみようということで、指名していただいた。

――パレスホテル東京は前身から大きく変わりました。改装はどのような意思決定で行われたのでしょうか。

当時、小林社長はパレスホテルに危機感を持っていて、「過去のすべてを捨てるくらいの改装をしろ」という指示があった。

各部門の幹部は全員先輩だった。彼らに改装について意見を聞くと、「これは残してくれるよな」などと言われる。そこで、これまでの顧客などを意識したレガシーを多く盛り込んだ改装案を出すと、「これでは変われないよ」と小林社長に一蹴された。

「われわれも開国をしましょう」と説得

大きく変わることについて反発もあったが、「黒船が来て(外資系ホテルとの違いを)知ったじゃないですか。われわれも開国をしましょう」と説得した。

宴会は日本の名門ホテル、レストランは個人客を呼び込める街のレストラン、宿泊は外資系高級ホテルをターゲットにする戦略でやってみようということになった。「こんな都合のよいターゲティングあるのかよ」と当時は思ったものだった。

1990年以降は多くの外資系高級ホテル(編集部注:1992年にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業。その後1994年にパークハイアット東京、ウェスティンホテル東京などが続く)が日本に参入してきた。外資系高級ホテルは、ターゲットを絞って、顧客に合わせたホテルを作るというブランドポートフォリオの考え方を持っていた。

国内系には、顧客を絞り込むという考え方はなく、前身のパレスホテルを含めた総合シティホテルは、宴会、レストラン、宿泊の全部をやっていた。宿泊であれば修学旅行から大統領まで、宴会であれば謝恩会から企業のパーティーまで受け入れていた。

――具体的にどのように変えたのでしょうか。

ホテル全体としては、ディスティネーションホテル(目的地となるホテル)を目指した。一部の外資系高級ホテルは立地が不便でも、好きな人が来てくれる。ホテルに「魂」がこもっているからだ。

一方で以前のパレスホテルの利用は「手段」であり、「目的地」ではなかった。私自身もロケーションを武器にした営業をしていた。

パレスホテル東京の改装に当たっても、「建物の内装は外資系みたいだけど、中身は変わらなかったね」ということにはならないように、商品開発、営業、マーケティングで同じ価値観を持つことが大事だと共有した。

反対されても客室にはテラスをつけた

「うちらしさ」を出すために、ひらめきなど感覚的な部分を重視した。例えば、客室の一部にはテラスをつけた。日本には四季があり夏は蒸し暑く冬は寒いため、テラスをつけても半分くらいしか使えない。だから反対されたが、パリやミラノのホテルにはテラスがあるというイメージが頭の中にあった。

前身のパレスホテルはレストランをすべて直営でやっていた。そこに「異文化」を入れるために、中華と寿司は街で評判のレストランを招いた。鮨かねさかは当時、ホテル初出店だった。とてつもない顧客と数字を持っているレストランが同じホテルにあることは、いい影響になった。

――外資系ホテルのように宿泊特化ではなく、従前のパレスホテルと同じグランドホテル(宴会場なども併設した大規模ホテル)の形は残したのですね。

営業利益率が高くなるように、外資系と同じような宿泊に振り切った提案をしたことがある。しかし小林社長から「ビジネスとしては間違っていないが、雇用を守ることを前提としてホテルを作ってくれ」と言われ、グランドホテルを継承することにした。

――高級ホテル市場で国内系は外資系に押されています。日本の高級ホテルに求められることはありますか。

いろいろなものに手を出しているホテルもあるが、選択と集中が必要だと思う。ターゲットを定め、誰に何をどう売るのか、考えていくと、答えは出てくる。

私は古いホテルを改装して、付加価値を持たせたホテルが好き。これから建築コストの上昇が予想されている。建物の本質的な価値を捉え、リノベーションをして付加価値を受けて生まれ変わらせるというやり方もある。

次の総支配人がトップギアを入れられるホテルを作る

総支配人の役割は5年後、10年後をイメージしながら経営とアジャストするホテルを作っていくことだ。ここを変えたいといった青写真はある。どのようなホテルになるかはインバウンドや日本経済などの動向によって変わってくると思う。

次の総支配人がトップギアを入れられるようなホテルを作るのが私の役割だと思う。

――次の総支配人はズバリ誰でしょうか。

何人かの候補を見ながら決めることになると思う。最後に決めるのは社長であり会長だろう。数字を作らないといけない時期、海外進出などが必要な時期など、タイミングによって変わってくるだろう。

星出 遼平:東洋経済 記者

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