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「亡き桐壺」に囚われる帝と母、それぞれの長い夜 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・桐壺③

東洋経済オンライン / 2024年1月7日 16時0分

などと、心をこめて書かれている。

宮城野(みやぎの)の露吹きむすぶ風の音(おと)に小萩(こはぎ)がもとを思ひこそやれ
(宮中に吹く風の音を聞くにつけても、あのちいさな萩──若宮がどうしているか、ただ思いやられる)

と書かれているが、母君はとても最後まで読むことができない。

娘に先立たれた母の葛藤

「長生きがこんなにつらいものであると、身に染みて感じております。『いかでなほありと知らせじ高砂(たかさご)の松の思はむこともはづかし(古今六帖/こんなにも長く生きていることを知られたくないものだ、高砂の松がこんな私をどう思うかと考えると恥ずかしくなる)』と古い歌にあります通り、私も気が引ける思いですので、人目の多い宮中に参るなど、とんでもないことです。畏れ多くもありがたいお言葉をたびたび頂戴しながら、私自身はとても参内の決心がつきません。若宮は、どこまでわかっていらっしゃるのか、宮中に早く行きたいご様子です。若宮が、おとうさまのいらっしゃる宮中をお慕いになるのはごもっともとは思いながら、若宮とお別れするのが悲しくてたまらない私の気持ちを、どうか内々でお伝え申してくださいませ。娘に先立たれた不吉な身ですから、ここで若宮がお暮らしになっているのも、やはり縁起のいいことではありません。畏れ多いことです」と、母君は言う。

若宮は、すでに眠っていた。

「若宮のご様子をほんのひと目でも拝見し、帝にご報告したいと思っておりましたが、帝もお待ちになっていることですし、夜も更けて参りましたので、今日はこれで失礼いたします」

と言って命婦は去ろうとする。

「子を亡くした親の心の闇はたえがたく、ほんの少しでも晴らせるくらいにお話ししたく思います。このような公のお使いだけではなく、またどうか内々でお気軽にいらしてください。この数年、晴れがましい折々にお立ち寄りいただきましたのに、こんなふうに悲しいお言づけを届けていただくのは、返す返すもこの寿命の長さがつらく思われます。亡き娘には、生まれた時から望みをかけておりました。娘の父親であった大納言も、息を引き取る直前まで『この子を入内(じゅだい)させるという私たちの願いを、どうかかなえておくれ。父親の私が亡くなっても、弱々しく志を捨てるのではないぞ』とくり返し言いさとしていました。しっかりした後ろ盾となってくださる方もいないままに、宮仕えなどしないほうがいいと心配してはいましたが、亡夫の遺言に背いてはならないという一心で、あの子を宮仕えに出させていただきました。それが思いもよらず深い愛情を掛けていただきまして、それだけでも身に余ることですので、ほかの方々から人並みにも扱ってもらえない恥も忍んでは宮仕えを続けていたようです。それでもその方々からの妬みを一身に受けて、心を苦しめることもだんだん増えて参りましたところに、ついにはあんな有様でこの世からいなくなってしまいました。ですから畏れ多いはずの帝のお心も、かえって恨めしく思えてしまうのです。これも、子を失ったどうしようもない親心の闇でございます」

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