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聡明な紫式部に父が口にした「忘れられない一言」 世界最古の長編物語を書いた紫式部とその家族

東洋経済オンライン / 2024年1月7日 7時30分

大河ドラマ「光る君へ」で紫式部の父を演じる岸谷五朗さん(写真:大河ドラマ公式サイトより引用)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして2人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載(毎週日曜日配信)で解説を行っていきたい。初回は聡明だった式部に、父親の為時が口にした一言と、式部の人生に与えた影響について解説する。

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生年も本名もわかっていない

世界最古の長編物語『源氏物語』の作者として知られる紫式部。生年については諸説あり、970(天禄1)年とする説や、973(天延1)年とする説などがある。

【写真】藤原道長の邸宅、土御門第の跡

本名もよくわかっていないが、存在したことは確かなようだ。次のような記録が残っている。

平安時代の公卿・藤原実資は、一条天皇の皇后である彰子の御殿へ、毎月のように出入りしていた。どうも、養子の藤原資平を蔵人頭に任官させてほしいと、彰子にとりなしてもらおうとしていたようだ。

訪問時には、必ず同じ女性が取り次いでくれたという。藤原実資は長和2(1013)年5月25日、日記『小右記』にこう記した。

「今朝帰り来たりて云わく、去んぬる夜、女房に相逢う」

この女房のことを「越後守為時の娘」と説明している。

「越後守為時」とは、越後守を務める藤原為時のことで、その娘が現在、「紫式部」として知られている女性だ。この『小右記』での記述が、紫式部の実存を裏づける確かな記録とされている。

紫式部は、父の藤原為時から、文学的な素養を受け継いだらしい。

為時は文章生(もんじょうしょう)出身の学者で、貞元2(977)年3月28日に東宮(花山天皇)の御読書始において、副侍読を務めている。副侍読とは、天皇や東宮に仕えて、学問を教授する学者のことをいう。

平安中期の漢詩集『本朝麗藻』では、為時の漢詩が13首入っている。一方で為時は歌人としても活動していた。『後拾遺和歌集』『新古今和歌集』には4首が入選を果たした。

為時はどんな人だったのか。その性格をよく表すエピソードが『紫式部日記』には書かれている。

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