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本名ではない「紫式部」、なぜ紫式部と呼ばれたか 生まれ年や没年すらもいまだ謎に包まれている

東洋経済オンライン / 2024年1月13日 7時30分

幼い頃、親に褒められた記憶というのは、後年まで残るもの(その逆で叱られた記憶も)ですが、式部も例外ではありませんでした。

父・為時は、息子の惟規に本を読ませていたのですが、なかなか、その内容が覚えられなかったようです。そばで聞いていた式部のほうが、不思議と本の内容を覚えていったのでした。それを見た父は「この子が男子だったらよかったのに」といつも嘆いていたそうです。この話を記した式部の得意気な顔が浮かびますが、惟規のことを思えば、少し可哀想ですよね。

式部はこの逸話の頃は10歳、弟の惟規は8歳だったとされています。「この年齢では女子のほうが早熟であり、年齢の相違もあることゆえ、式部が彼に比べて褒められたのも無理はない」との声もあります。確かに、小学生の低学年くらいのことを思い起こせば、優秀な女子、結構いたように思います。

それはとにかく、幼少の式部は、父と弟の学問・読書の様子を見るうちに、読書の楽しさというものを知っていったようなのです。「栴檀は双葉より芳し」ということでしょうか。

(主要参考文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

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