職場をクビ→43歳でシェフになった女性のその後 未経験ながら香港でレストランを開いたら…
東洋経済オンライン / 2024年1月15日 12時0分
母が料理好きだったこともあって、12歳から料理を始めました。料理が常に私の情熱だったことを家族はもちろん知っていましたが、それを仕事にするとは思ってもみなかったようです。当時、料理人は立派な仕事と見なされていなかったのです。私自身も思ってもみませんでした。私は女性で、料理は男性優位の世界なのですからなおさらです。
だから、私は秘書の勉強を終えると、家族が思い描いていた通りに事務員になりました。
しかし、私には問題がありました。事務作業に集中できなかったのです。
これは深刻な問題だったので医師に相談したところ、ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されました(この障害がある人は作業の継続や集中の維持や整理整頓が難しい場合がありますが、それらの問題は反抗心や理解力欠如のせいではないのです)。
私は自分の世界が崩れ落ちていくように感じました。こんな障害を持ったままどうやって生計を立てていけばいいのだろうか。どうやって家族の期待に応えればいいのか……家族は私が安定した生活を送れるようにと貯金の大半をはたいてくれたのに。
私は精一杯努力しました……。
それでも、私は3つの職場をクビになりました。
すっかり自尊心を失ってしまいました。
43歳で小さなレストランを開くことに
失うものが何もなくなった私は、貯金を使って小さなレストランを開くことにしました。43歳のときです。
田舎の生活には利点がありました。特に不動産価格に関してはそうでした。田舎家の1階にある居心地のいい物件を見つけました。居住面積が20平方メートル、庭が20平方メートルあり、香港で私が住んでいた家からわずか徒歩2分のところです。私はこの物件を購入し、居住部分を厨房に、庭を客席スペースに改装しました。
「ボス」になるのはこれが初めてでした。当時の私はどういうわけか自分のことを商売の天才だと思っていました。ボスという立場の難しさを過小評価し、自分自身の能力を過大評価していたのです。2011年1月25日にオープンした当初、店名は「51ファーム」でした。利益の51%を中国の農村地域に寄付したいと思っていたからです。
私は起業家としての仕事に集中し過ぎて、料理に対する情熱を疎かにしてしまいました。私が思う田舎暮らしの利点は不動産価格でしたが、欠点は自分が出す料理に高い値段を付けられないことでした。
そこで、技術をさほど必要としない、シンプルな低価格のメニューを出すことにしました。この商売は上手くいきませんでした。私は落ち込んで、自分は何をやっても駄目だと感じていました……。
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