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「吉本興業」創業のきっかけになった"驚きの一言" 吉本せいが仕事しない夫の一言を受けて覚悟

東洋経済オンライン / 2024年1月17日 13時0分

これではまるで、芸人と結婚したようなものです。それでも、家業がうまくいっていればよいのですが、経営は火の車でした。せいは帳簿をつけながら、ため息ばかりついていたことでしょう。

やがてせいは妊娠しますが、夫は相変わらず、遊んでばかり。ついには、実家の廃業を決めてしまいます。

吉次郎が無職になってから、3年の月日が過ぎました。幼い子供を抱えたせいは、いつ、心が折れてしまってもおかしくない状態です。

「こんな人と結婚しなければよかった……」

そんな愚痴もこぼしたくなるなか、転機は突然、訪れます。大阪天満宮の裏にある寄席が経営不振で廃業を決めると、吉次郎がこんなことを言い出したのです。

「つぶれるなら、買収して、寄席の経営をしよう」

これには、お笑いとは無縁のせいも「おいおい」とツッコミたくなったことでしょう。まず、寄席が廃業したのは、お客さんが来なかったからに違いありません。買収したところで、立て直すのは簡単なことではありません。

それ以前に、そもそも買収するためのお金もありません。「何を夢みたいなことを言っているの! あなたは父親なのよ!」と、一喝してなんとか働かせようとするのが、当然の反応でしょう。

しかし、せいは違いました。どうせならば、夫が一番好きなことをやらせてみようと、一か八かの賭けに出ることを決意したのです。

一度決めたら、せいの行動には迷いがありません。

資金については、せいが自分の父に頭を下げて、なんとか説得して、お金を借りることに成功。それでも足りない分は他のところをあたって、借金をしながら資金をかき集めました。

借金まみれになりながら、まさに背水の陣で、せいは吉次郎と寄席の経営へと踏み出したのです。1912年、明治45年のことでした。

客の行動を徹底分析、「えげつない作戦」も

さあ、そうなれば、なんとか寄席の経営を成功させなければなりません。

せいは寄席に来たお客さんを席に案内したり、下駄の泥を落としたりと、せわしなく働きながら、その目はしっかりと客の行動をとらえていました。

まず、せいがやったことは、客が座る間隔をできるだけ詰めて、一人でも多くの客が座れるように、わずかなすき間があれば、強引に座布団をねじ込みました。つまり、収容人数を増やすために、客を会場にすし詰めにしたのです。

また、小屋の空気をわざと入れ替えず、熱気あふれる状態にするようにしていました。息苦しくなった客が退場してくれるので、その分、客の回転数が上がるというわけです。

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