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地方都市の「ファスト風景化」勝手に憂う人の病理 車なしで暮らせる都会人の「一方的な郷愁」だ

東洋経済オンライン / 2024年1月17日 13時30分

本稿では便宜上、この後は「ファスト風土」と記載するが、「ファスト風景」と同義であろうことを、ここで断っておきたい。

さて、この「ファスト風土」だが、都市論の人間からすると、なぜ今さら……と思ってしまう。三浦の「ファスト風土」本は、2004年に書かれたからだ。

Xでたまに、この手の話題が盛り上がるときがある。そのたびに否定派は「かつての日本にあった風景が失われている」と述べ、それに対して「でもチェーンストアとかショッピングモールってめちゃくちゃ便利だよね」という肯定派が反対意見を述べ、気付いたら自然とその話題は消えている。

しかし、実はこの「ファスト風土批判問題」(私はこう呼んでいる)、意外と根深い問題を持っている。ということで、今日は「なぜ、人はファスト風土を批判してしまうのか」ということについて考えてみたい。

意外と古い「ファスト風土」批判

大前提として、こうしたファスト風土を批判する論調は、SNSに限らず、実はけっこう歴史がある。日本に限っても、だいぶその歴史は古い。

先ほども書いた通り、最初にファスト風土という言葉を使ったのは三浦展の『ファスト風土化する日本』だ。ここで三浦は、チェーンストアやショッピングモール(特に三浦は「ジャスコ」を集中的に批判の槍玉に挙げている)が立ち並ぶ風景を「病理」だとして、各地域の土地の記憶がなくなっていくさまを、厳しく批判する。さらにそうした風景は、人々の交流を失わせてその心を荒廃させ、不幸にするともいう。「犯罪現場の近くにはジャスコがある」なる章も。

現在からすると、「ここまでショッピングモールが悪者に……!」という驚きさえあるが、この本は当時、かなり話題を呼んだようだ。同書がどれほど正しいかについては疑問が持たれることもあるが、この本が広く影響を与えたこと自体、当時の人々の中に「ファスト風土」を疑問視する人が少なからず存在していたことを表しているだろう。

これ以前にも、「ファスト風土」とは書いていないが、郊外のチェーンストアが立ち並ぶ風景を批判したのが『<郊外>の誕生と死』を書いた小田光雄だ。小田もまた、ファミリーレストランなどを例に挙げながら、地域が均質化し、それぞれの土地の記憶がなくなることに警鐘を鳴らしている。

この2冊はファスト風土を批判した代表的な書籍だが、これ以降にもさまざまな媒体でファスト風土批判は繰り返されてきたといってよい。興味深いのは、こうした論で必ず展開されるのが「人間らしさを街に取り戻す」とか「人と人との心のつながりを取り戻す」といった言葉が語られること。特に三浦の本にはその傾向が強い。

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