1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

意外と知らない「推し」と「萌え」決定的な違い 情報革命でファンの在り方は大きく変わった

東洋経済オンライン / 2024年1月18日 17時0分

誰かや何かを好きだという点では「推し」と「萌え」には共通点があり、たとえば2007年に登場した初代ボカロである初音ミクを「推す」のでなく、初音ミクに「萌える」のも、初音ミクが好きという意味には違いありませんでした。

「推し」と「萌え」には大きな違いがあった

「推し」と「萌え」には大きな違いもありました。もともと「萌え」は、アニメやゲームの女性キャラクターが好きな男性オタクとその周辺で流行った言葉でしたが、「萌え」には自分がその女性キャラクターを好きなだけでなく、その女性キャラクターに好かれたい願望が含まれがちで、そうでなくても自分とキャラクターが一対一の関係として想定されていました。

「推し」と違って、他人にすすめる・大勢で1人のキャラクターを応援する、そういった意味合いが「萌え」には希薄だったのです。そういえば、同時代の男性オタクたちが愛好した「セカイ系」という物語形式も、主人公とヒロインの2人だけの物語を軸に、それにあわせて世界の命運が変わったり世界全体が物語られたりするものでした。

だから「推し」と「萌え」は、「好き」という気持ちは共通しても、その気持ちが第三者に対して開かれている度合いがぜんぜん違っていたのでした。

今日の推し活では「推しが『尊い』」という言い回しをよく見かけます。尊いというからには、「推し」の対象は「萌え」の対象に比べて距離があり、少なくとも「俺の嫁」と呼んだり一対一の関係を想像したりする筋合いのものではないのでしょう。

ですからひとことで好いているといっても、「俺の嫁」である「萌え」と「尊い」とされる「推し」の間には大きなギャップがあるとみてとるべきです。前者には、後者にあるはずの第三者の目線、その好きな対象を第三者と一緒に応援し、自分よりも尊いものとみなす感性が欠けていたのでした。

「萌え」時代は集団性より個人性

ざっくりまとめると、「推し」が流行する前のサブカルチャーの風景、あるいはインターネットのカルチャーは、全般的に自分中心で独りよがりと言いますか、集団性より個人性が前面に出たものだったと言えます。

SNSのトレンドは自分中心の「いいね」で、キャラクターと自分自身との関係性も一対一の時代、「推し」を他の推し活メンバーと一緒に尊ぶ感性ではなかったのでした。承認欲求を充たすことに夢中になりがちな感性、「いいね」をつけてくれる人や自分の好きなキャラクターに好かれたい・愛されたいと願うことに夢中の感性でもあったと言い換えられるかもしれません。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください