1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

紫式部の父「宮中人事に不満」失意の中の仰天行動 勝負に出た「藤原為時」が詠んだ漢詩の内容

東洋経済オンライン / 2024年1月21日 11時40分

「はやうより童友だちなりし人に、年ごろ経て行きあひたるが、ほのかにて、七月十日のほど、月にきほひて帰りにければ」

(かねての幼友達と、長い時を経て、偶然出会ったが、確かにそうだとはっきり見分けもつかないうちに、陰暦の七月十日ごろ、夜半の月と競いあうようにして帰ってしまったので)

このように、和歌や俳句の前書きとして、その作品の動機・主題・成立事情などを記したものを「詞書き」(ことばがき)という。

議論がなされてきた「童友だち」

この「童友だち」とは誰なのか。いち早く『源氏物語』の現代語訳に挑んだ歌人の与謝野晶子も含めて、さまざまな論者による議論がなされてきているが、はっきりとしていない。

ただ、心を許した幼友達や、相談を持ちかけられるような間柄の友人がいた様子は、紫式部が詠んだとされる和歌から読み取ることができる。

もっとも、早くに母を亡くし、父の仕事もままならない境遇を考えれば、紫式部のほうこそ、友人に相談したいことだらけだったに違いない。

しかし、為時が空しく職を失ってから10年後の長徳2(996)年、人生は動く。ついに待望のポストが与えられることになったのだ。

為時は、宮中の人事が行われる際に「受領になりたい」と希望を出していたが、その願いが受け入れられることになる。受領とは、地方官である国司のなかで、現地の支配を行う最高責任者のことだ。

だが、当初、為時が任じられたのは、淡路国だった。国司が赴任する国は大国、上国、中国、下国の4つにランク分けされており、淡路国は下国にあたる。

そこで為時は勝負に出る。『今昔物語集』によると、こんな漢詩を天皇に提出したのだという。

「苦学寒夜紅涙霑襟 除目後朝蒼天在眼」(苦学の寒夜、紅涙が襟をうるおす 除目の後朝、蒼天眼)

意味は「寒い夜の苦学の甲斐もなく希望した地位につけずに、血の涙にむせいでいます」。この悲痛な漢詩が認められ、為時の任地は変更される。大国である越前国守への就任が成し遂げられることとなった。

為時の人生が動いて紫式部もあとに続く

越前への赴任には、20代半ばの紫式部も同行することになるが、1年ほどで都へ帰還。そこからいよいよ、紫式部は激動の人生を過ごすことになる。

偉人の多くは、不遇な前半生をバネにして高く跳ぶ。紫式部もまた『源氏物語』を書き上げるまでに、多くの経験を積んでいる。父の報われない人生と、漢詩による逆転劇も、紫式部の心に深く刻まれたことだろう。

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
佐佐木信綱 『新訂 新古今和歌集』 (岩波文庫)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください