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日産「セドリック/グロリア」とクラウンの岐路 国産初のターボ車、そしてY32で英華を極める

東洋経済オンライン / 2024年1月23日 12時20分

開発コンセプトは「人とクルマと社会の調和をめざしたハイクオリティパーソナルサルーン」だった。象徴的だったのが、4灯ヘッドライトを採用した「グランツーリスモ」と、異形ヘッドランプを採用した「ブロアム」というグレードの展開だろう(写真:日産自動車)

20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。

日産自動車「セドリック」は、トヨタ自動車「クラウン」の競合として1960年に誕生した。ちなみにトヨタ・クラウンの初代は、1955年の誕生である。のちに、日産のセドリック/グロリアとして兄弟車として扱われることとなるプリンス「グロリア」は、1959年の誕生である。1966年に日産自動車とプリンス自動車工業が合弁したため、グロリアはもちろん「スカイライン」も日産車となる。

【写真で見る】日産を代表する高級車「セドリック/グロリア」。歴代モデルを振り返る。

それでも1967年の3代目グロリアは、合併前に開発が進められていたため、セドリックとは別の車種であった。4代目となる1971年に、基本的な機構や性能がセドリックもグロリアも同一となり、顔つきやテールランプなど意匠の違いで車種をわけるようになった。

セドリック/グロリアの統合とハードトップという新機軸

日産セドリック/グロリアとなってから独創的だったのは、4ドアハードトップという車種設定である。

一般に、4ドアセダンは、車体中央にドアを支える柱(自動車用語ではBピラーと呼ぶ)がある。また、前後それぞれのドアの窓にはガラスを支える枠(サッシ)がある。しかしハードトップは、窓枠がなく、ガラスの端に密閉するシールがあるだけで、構造としての窓枠はない。なおかつ、2ドアではなく前後のドアを開閉できる4ドアで、車体中央の支柱や窓枠のない4ドアハードトップは、日産の斬新な提案であった。

これにより、それまでクラウンの先行を許してきたセドリック/グロリアは、鎬を削る存在へ躍進したのである。

ほかに、エンジンで言えば直列6気筒が上級車種では象徴的で、セドリック/グロリアも、またクラウンも直列6気筒を主力エンジンとしてきた。だが、日産は、1983年の7代目セドリック/グロリアで、V型6気筒エンジンを登場させた。アメリカで当時のV6エンジンは、廉価車種向けとされていたが、日本ではより上級車種のV8エンジンに通じる形式ととらえられ、V6に憧れる機運があった。

日産とトヨタの対比が鮮明に

1970年代の排出ガス規制を乗り越えた日本が、再び高出力を目指すなか、日産は排気を利用するターボチャージャーを選び、トヨタはDOHC(ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)の自然吸気を選んだ。それぞれに特徴的で、両社、両競合車が、相手を強く意識しながら独自性を求めて商品力の強化をした面白みがあった。

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