葛飾北斎を世界の浮世絵師にした「ヤバい先輩」 天才画家ゴッホも絶賛、北斎の創作活動の原点
東洋経済オンライン / 2024年1月24日 12時20分
それだけすさまじい量を猛スピードで描いていたにもかかわらず、北斎は貧乏でした。
あまりにも貧しいため、七色(しちみ)唐辛子を売り歩いていた時期もありました。ほかにも暦(カレンダー)売りをやったときには、浅草でまさに売っているときに、前の師匠とばったりと会って、気まずい思いをしたことも……。
しかし、どれだけ貧しくても、北斎は画の道につき進みます。いつも心を支えたのが、「思い出したくもない過去」だったのです。
目の前で看板を破り捨てられる
一体、どんなひどい目に遭ったのでしょう。
あるとき、北斎は絵草紙の問屋のために看板を描きました。問屋は非常に喜んで、店先にその看板を飾っていたそうです。
ところが、そこに師匠である勝川春章の高弟である勝川春好が通りかかり、事件が起きました。春好は「なんとヘタな絵だ」と、本人の目の前で看板をけなして、さらにこんな暴言を吐いたのです。
「こんなものを掲げていては、師匠の恥を掲げているようなものだ」
そして春好は北斎が見ている前で、その看板をビリビリ! なんと引き裂いてしまったのです。
「な、なんてひどいことを……」
屈辱に北斎は打ち震えんばかりでしたが、相手は兄弟子です。逆らうことなどできません。その場はなんとか怒りを抑えて、北斎は心で誓いました。
「私は、世界一の画工になる! 絶対になるぞ!」
それからというもの、北斎は師に内緒で、ほかの絵師のところにも通うようになります。ルール違反でしたが、兄弟子を見返すためには、もっともっと上手くならなければならないため、こうするほかありませんでした。
結局、そのことがバレて、破門にされてしまいます。それでも、北斎は画法を変化させながら、様々な様式にも挑戦。実に70年間にも及ぶ創作活動で、膨大な数の作品を残しました。
最初こそは、兄弟子を見返すために、必死に腕を磨いていた北斎でしたが、次第に、修行そのものに夢中になっていきました。北斎は兄弟子の仕打ちについて、のちにこう振り返っています。
「私の画法が上達したのは、あのときに春好に辱めを受けたお陰だ」
私生活はめちゃくちゃだった
とにかく絵を描くことだけを考えた北斎は、私生活は結構めちゃくちゃ。部屋は散らかり放題で、汚くなるとようやく掃除……するかと思いきや、なんと引っ越してしまいます。
生涯で北斎が引っ越しをした数は、実に93回! 掃除を面倒くさがる性格は、見習ってはいけないところですが、それだけ夢中になれることを北斎は見つけたということでしょう。
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