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葛飾北斎を世界の浮世絵師にした「ヤバい先輩」 天才画家ゴッホも絶賛、北斎の創作活動の原点

東洋経済オンライン / 2024年1月24日 12時20分

自分の名前についても、北斎はテキトーそのもので、「春朗」「宗理」「可候」「辰政」「画狂人」「戴斗」「卍」など、何度も名前を変えています。

事情があって変えたときもありましたが、実績を積んでは、その名前を弟子に譲って収入を得ていたという噂もあります。北斎の生活の苦しさを思えば、あながち外れてもいなさそうです。

1848年、北斎は93回目の引越しで、浅草の聖天町へと住居を移しました。80歳頃からはもっぱら肉筆画を描いた北斎。転居の翌年には、数点の作品を完成させていました。

ところが、その年に北斎は病気で、床に伏してしまいます。娘や門人、旧友が見舞いに訪れましたが、もはや医者の力でも、どうすることもできません。そのまま回復することなく、北斎は帰らぬ人となります。90才でした。

死ぬ間際に叫んだ言葉

北斎は、死ぬ間際にこう叫んだと伝えられています。

「あと10年、いや、せめて5年生かしてくれ! そうすれば、まことの絵描きになってみせるものを……」

人生には限りがある。だから、日々の努力を惜しまない。シンプルですよね。賢者に共通したスタンスかもしれません。

※外部配信先では漫画を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください

心が折れないポイント
・「悔しい思い」は飛躍のための助走。
・貪欲に学び続ける姿勢を失わない。
・ずっと夢中になれることを見つけよう。

真山 知幸:著述家

湯沢 としひと:漫画家、イラストレーター、似顔絵師

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