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先進国で「出生率低下」嘆く人に知ってほしい視点 大家族を作らないという選択は「利己的」なのか

東洋経済オンライン / 2024年1月26日 19時0分

ある金曜の朝、わたしは2人の女性の友人に頼んで、人口についてのディスカッションに付き合ってもらった。すでに述べたように、高学歴の女性ほど子供の数が少ないという傾向があるのだが、この2人はこの傾向から外れているので、ぜひとも話を聞いてみたかったのだ。

サラはケンブリッジ大学卒で、6人の子供がいる。ヴィッキーはオックスフォード大学卒で、7人の子供がいる。2人はなぜそんなにたくさんの子供を望んだのかを知りたかった。

サラもヴィッキーもユダヤ教正統派だが、ものの見方は現代的である。わたしが感じたのは、この2人の子だくさんは、厳密な意味での宗教的義務などではなく、多産文化に組み込まれた子供への愛情によって説明できるのではないかということだった。ヴィッキーは自宅で地域紙の編集をしている。サラは子供が生まれるまで弁護士だったが、今は外では働いていない。

2人は知的で高学歴だが、自分にできることのなかで出産・子育てがもっともやりがいがあると感じている。「7人の子供を産んで、その全員を心豊かな、分別と責任感のある人間として社会に送り出すっていうのは、このうえなく創造的でやりがいのあることだもの」とヴィッキーは言う。

2人とも小家族を選択した人々を非難するつもりはなく、子供を持つことができない人々への思いやりも忘れてはいない。だが社会全体としての少子化について語るとき、2人の口からはどうしても「利己的」という言葉が出てくる。現代の都市化した世界で子供をたくさん持つのは、とんでもなく大変だというわけではないと2人は言う。

小さな家族は「利己的」なのか

ときには休日に大家族用のレンタカーを借りるのが大変だったり、イベントのチケットを人数分予約するのに苦労したりするが、そんなことは些細な不都合でしかない。サラとヴィッキーから見れば、小家族を選択した人々は、新しい命を生み出すことよりも自己啓発や休暇、子供1人に1部屋を確保することなどを優先させていることになる。

その選択について誰かを非難しようというのではないが、そういう選択がなされる社会について、彼女たちは次のように説明している。今わたしたちが生きているこの世界では、個人の目標や一定の生活水準の達成が規範になっているが、その規範は大家族を持つことと折り合いをつけるのが難しいのだと。突き詰めれば、それらの達成を望む場合、そもそも家族を持つのは無理だということになりかねない。

一方サラは、大家族を持つことにした自分のほうが利己的だという可能性もあるのではないかと指摘した。欧米の、とくに大量消費・大量排出が止まらない先進国では、子供を持つことのほうがむしろ身勝手ではないかという疑念が広まりつつある。この問題を提起したのはアメリカの下院議員アレクサンドリア・オカシオ=コルテスだった。

「わたしたちの子供の時代には生きていくのが容易ではなくなるということが、基本的な科学的合意として形成されています。ですから若い人たちが、それでも子供を産んでいいのかと躊躇するのはむしろ当然のことでしょう」

ポール・モーランド:人口学者

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