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松本人志不在の「M-1グランプリ」はどうなるのか 審査員になった経緯、若手漫才師に与えた影響

東洋経済オンライン / 2024年1月27日 12時30分

浜田は歌手や役者としても活躍し、松本は自身の持論を赤裸々に記した『遺書』(朝日新聞社)が250万部を売り上げ、1996年に大喜利形式の番組『一人ごっつ』(フジテレビ系)をスタートさせるなど、“笑いの求道者”というイメージが根付いていった。

また漫才ブームで知名度を上げたコンビは、ビートたけし、島田紳助らボケだけが生き残るというイメージがあった。しかし、ダウンタウンはコンビで活躍できることを証明し、後続の若手に希望を持たせた。

テレビ一強の時代に求められたスター

時代的な観点から考えると、彼らは1982年に創立された芸人養成所・NSCの1期生であり師匠はいない。この点もダウンタウン以前と以降に分かれる。加えて、世は好景気でテレビ一強の時代だ。そんな中で刺激的なスターが求められるのは必然だったのかもしれない。

1990年代に入り、バブル崩壊後もバラエティーは好景気の空気を引きずっていた。毒舌、突飛な言動、体当たり企画、お色気、大掛かりなゲームやコントなど、テレビはよりインパクトのあるものを提供し、若い視聴者の多くはそれを大いに歓迎した。

お笑い第3世代と呼ばれる、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらはそんな時代の若きスターだった。とくに関西圏に住んでいなかった筆者のような視聴者にとって、もっとも後になって目にしたのがダウンタウンだ。景気のいい時代の終わりに登場した、どの組よりも話術に長けたコンビという印象が強かった。

第1回大会から関わる審査員は不在に

昨今、若手芸人に取材する中で「学生時代、YouTubeで『ガキの使い』のフリートークを見ていた」「子どもの頃、親の影響で『ごっつええ感じ』のDVDを見ていた」と耳にすることがままある。ダウンタウンが残したトークやネタは、若年層にとっての参考書になっているのだろう。

M-1に話を戻せば、2004年、2015年と松本が審査を担当しなかった年もあり、大会を継続させること自体は難しくないだろう。しかし、発起人の紳助や谷が大会に注いだ“志”を引き継ぐ者は不在になる。第1回大会から関わった漫才師の審査員は、松本をおいてほかにいないからだ。この先、松本が復帰しないことも想定される中、2024年はどのような形で大会を開催するのか。大会に携わる制作スタッフ、出演者、そして視聴者の意見も含めた議論が必要かもしれない。=敬称略=

鈴木 旭:ライター/お笑い研究家

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