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盲目的「推し活」が人間関係に及ぼすマズい影響 「欠点の見えない推し」を推し続ける事の欠点

東洋経済オンライン / 2024年1月29日 19時0分

そのメリットが多く語られる「推し活」ですが、ハマりすぎることの難点もあるようです(写真:Graphs/PIXTA)

2021年に「推し活」がユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされ、多くの人が「推し」がいる状態となっている昨今。本稿では精神科医で『「推し」で心はみたされる?』の著者である熊代亨氏が、盲目的に欠点の見えない「推し」を推すことによる人間の成長における問題点を指摘します。

作られた「推し」を推すリスク

今日、承認欲求を充たすための手段はオンラインにもオフラインにもあって、そのなかから自分の得意な活動を選べばいいですし、なんなら無条件に愛してくれるキャラクターを鏡映自己対象(自分を認めてくれると感じられる対象)として体験したって構いません。

理想化自己対象(自分が憧れる対象)にしても、推し活にお金を費やすもよし、SNSのリポストやシェアといった機能を用いて「推し」の人気を後押しするのもよしです。

とはいえ疑問も残ります。

はるか遠くの優れたインフルエンサーや、ディスプレイの向こうのキャラクターを理想化自己対象として体験できたとしても、それだけでは学校の先輩や職場の上司を同じように、理想化自己対象として体験するのは難しいでしょう。

少なくとも、「推し」を選好する際に欠点のみえない「推し」ばかり選んで、欠点がみえるようになったらすぐに嫌いになってしまうような推し活を繰り返していては、コフートが語ったナルシシズム(自己愛)の成長に必要な〝適度な幻滅〞が「推し」との間柄のなかで体験できません。

無条件に愛してくれるように体験されるソーシャルゲームのキャラクターや、SNS上で「いいね」をつけてくれる誰かにしてもそうです。それで承認欲求が充たされる、そうしたキャラクターや「いいね」が鏡映自己対象として体験されてナルシシズムが充たされる、そのこと自体はいいでしょう。

でも、ディスプレイの向こう側の鏡映自己対象は、ディスプレイのこちら側の身近な誰かを鏡映自己対象として体験するための練習相手にはなってくれません。この場合も、ナルシシズムの成長に必要な〝適度な幻滅〞がキャラクターとの間柄のなかで体験できるとはあまり思えません。

「適度な幻滅」が発生するかどうかが境目

である以上、キャラクターを介したナルシシズムの充足では、その熟練度が高まる可能性がほとんど期待できないのです。コフートは、自己愛パーソナリティのクライアントをじかにカウンセリングし、根気強く付き合うことをとおしてナルシシズムの成熟を図りましたが、そのコフートのような役割をキャラクターやインフルエンサーに期待するのは困難です。

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