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賛否両論・笠原家の食卓が「きちんとしてない」訳 「理想の食事」からもっと自由になってもいい

東洋経済オンライン / 2024年1月31日 13時0分

みんなが揃って食卓を囲む風景というのも、もう昭和のものになった(写真:IYO/PIXTA)

予約の取れない和食店として有名な「賛否両論」店主・笠原将弘さん。50歳の節目に、「和食」への想いを綴ったエッセイ『今さらだけど、「和食」をイチから考えてみた。』より一部抜粋し、3回に渡って掲載します。

第2回は、日本の家族の食卓について笠原さんが考えることです。

時代とともに食卓の風景は変わるもの

焼き鳥屋を営んでいた僕の父親は、基本的に和食派。体にいいからという理由で味噌汁も毎日欠かさず飲んでいた。白いごはんに味噌汁。そして、店の残り物のおかず。これが僕の幼い頃の我が家の食卓の原風景だ。

【写真で見る】笠原さんが伝授、どんな料理にも変幻自在「鶏むね肉」

両親が店の切り盛りで忙しいから、僕は近所に住んでいた祖父母の家でごはんを食べることもよくあった。そのときも基本的には和食。

僕は一人っ子だったし、両親も店のことで手一杯だったから、家族が揃ってごはんを食べることはあまりなかった。だから、アニメの「サザエさん」の家みたいに、みんなが揃って「いただきます」をするという感覚がずっとわからなかった。

「サザエさん」を通して思うのは、みんなが揃って食卓を囲む風景というのも、もう昭和のものになったということだ。3世代が同居して、おじいちゃん、おばあちゃん、子どもと孫がいて……という家は、かなり少なくなっているのではないか。

これは、出汁の取り方にも通じることだと思うのだが、今の人たちは「理想の食卓」「理想の家庭」のイメージからも、自由になったほうがいいと思う。

たとえば、テレビで新築マンションのCMを見たりすると、微笑み合っておしゃべりをしながらごはんを食べている家族や、いつまでも仲睦まじい夫婦が登場したりするが、そういうのは多分に理想像だ。

サバ缶を缶のまま食べることも

今の笠原家の食卓だって、みんなわりと黙々とごはんを食べている。それでも、たまには「今日、友達がこんなこと言っててさ……」とか、「ちょっと聞いてくれる、仕事でこういうことやってるんだけど……」とか、「店に来たお客さんが面白いこと言ってね……」とか、たわいもない会話のキャッチボールがあったりする。

上の娘2人は社会人と大学生、末の息子は高校生だから、そもそも一緒に食べることがない。食事の時間帯がまったく噛み合わないからだ。店の仕事が終わって僕が帰宅する時間には、もうみんな寝ている。

たまに家族が揃っても、ぜんぜんきちんとしていない。サバ缶を缶のまま食べたり、面倒くさいときはコーンフレークをラーメンのどんぶりで食べたりということもある。

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