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がん死した男が名乗った逃亡50年「桐島聡」の人生 警視庁公安部は死亡した男性のDNA鑑定を急ぐ

東洋経済オンライン / 2024年1月31日 11時30分

今回、桐島と名乗る男のもとに急行し、事情聴取したのは、この「担当班」の公安捜査官たちだった。

「男の身元の確認を進めるが、前歴がないため指紋からは特定が難しく、DNA鑑定を行うことになった。親族から試料の提供を受け、かつ男からDNA採取の許可を得ねばならず、相当時間がかかる見込みだった」(勝丸さん)

しかし事態は急変し、男は死亡する。勝丸さんは「捜査官たちは遺体の口腔内からDNA試料を採取することが可能になり、鑑定がスピードアップするのではないか」と推測する。

ところで、桐島容疑者はどんな人物だったのか。

元警視庁幹部によると、桐島容疑者は1954年1月9日に広島県深安郡神辺町に生まれた。曾祖父、祖父は村議会議員、町議会議員をそれぞれ務めるなど、生家は地元では名家として知られていた。

尾道市内の高校から1972年4月に明治学院大学に進学した桐島容疑者は、過激派組織「東アジア反日武装戦線」の思想に共鳴し、同戦線の「さそり」グループのメンバーとして活動する。

大学入学後は映画研究会、同和研究会に所属するも、すぐに退部。その後、東京・山谷の日雇労働者らの「越年資金闘争」に参加。東京都や台東区らを相手取り、闘争に明け暮れていく。

警察関係者によると、この闘争の場で、ほかの「さそり」メンバーと知り合い意気投合したとみられるという。

桐島容疑者の手配容疑は、1975年4月に中央区内の韓国産業経済研究所の入り口付近に爆発物を仕掛け発動させた、爆発物取締罰則違反の罪だ。東アジア反日武装戦線の他のグループの共犯者がいまだ海外に逃亡しているため、桐島容疑者の罪は時効停止となっている。

「1970年代は、過激派による壮絶な爆弾テロの時代だった」と振り返るのは、70代の警視庁OBだ。

戦後最大規模の爆弾テロ事件

警視庁OBが「社会を不安のどん底に陥れた」と強く記憶しているのが、1974年8月に発生した三菱重工ビル爆破事件だ。

桐島容疑者が所属していた東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー、それに「大地の牙」「狼」メンバーらが、手製の爆発物を東京丸の内にあった三菱重工ビルの通用口近くのフラワーポットに置き、時限爆発させた。この事件で8人が死亡し、300人以上が重軽傷を負った、

過激派による戦後最大規模の爆弾テロ事件だった。

この事件当時、桐島容疑者は、「狼」グループの爆弾テロを超える爆弾テロを起こさないと「さそり」の存在理由がないと考え、1974年12月、ある建設会社を標的にした爆弾事件をメンバーらと実行する。

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