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がん死した男が名乗った逃亡50年「桐島聡」の人生 警視庁公安部は死亡した男性のDNA鑑定を急ぐ

東洋経済オンライン / 2024年1月31日 11時30分

しかし、この事件は派手な火柱や爆発音を出したものの、けが人もなく、報道もベタ記事扱いがほとんどで、なかには「悪質ないたずら」との報道もあった。

ただ、「この建設会社への爆破事件は失敗に終わったものの、東アジア反日武装戦線の他のグループ『大地の牙』や『狼』から認められ、桐島容疑者らの『さそり』グループが爆弾闘争に本格参戦するきっかけとなった」(勝丸さん)という。

その後、韓国産業経済研究所爆破事件に関与したとして、指名手配された桐島容疑者は行方をくらます。警察当局は、失踪の直前まで都内の大衆割烹店でアルバイトをしていたことを把握。失踪3日前の1975年5月17日には、渋谷区内の銀行で現金を引き出していたことが確認されている。

そして同年5月31日に「岡山で女と一緒にいる」との親族への電話を最後に、警察も足取りをつかめなくなる。

勝丸さんは、警察は桐島容疑者の立ち回り先を追い続けていたと明かす。

「失踪直前まで就いていた仕事に注目し、全国の割烹料理店や日雇い労働の現場に捜査の網を張っていった」

しかし。半世紀もの間、その網に桐島容疑者がかかることはなかった。

桐島を名乗る男は、神奈川県藤沢市内の工務店で「内田洋」名義で、数十年にわたり働いていたことがわかった。住居は工務店から数キロ離れた古い共同住宅だったという。

なぜ逃亡を続けられたのか?

桐島容疑者はなぜ逃亡を続けることができたのか? 勝丸さんは「たった1人で逃げ続けることは不可能」と、何者かの支援を強調する。

「50年逃げ続けているので、住まいを提供する、資金を提供する、逃走手段を提供する、偽造書類を手配するといった『犯人隠避』にあたる行動を取っていた人物が必ずいるはず。一連のオウム事件でも、警視庁による特別手配がかかっていた信者らは組織から人や資金などの支援を受けながら、一般社会にひっそりと浸透していた」

1971年の渋谷暴動で警察官を殺害したとして、2017年に46年ぶりに逮捕・起訴された「中核派」構成員の大坂正明被告(74)も、組織の支援を受けながら日々の生活を送っていたことが判明している。

勝丸さんは、男が今回、桐島聡と名乗り出た行動について、次のように推測する。

「通常、過激派のメンバーなどの活動家は、逮捕されても完全黙秘を貫くものだ。なぜならそれが本人にとって最高の栄誉となり、組織への多大な貢献とみなされるからだ。そうした掟を破って今回自ら名乗り出たのは、単純に自分の死期を悟ったからなのではないか。身を潜めて暮らさざるをえなかった環境下で、自分の存在理由を示したかったのだろう」

警視庁公安部では、死亡した男が桐島容疑者かどうかDNA鑑定で確認を急ぐとともに、容疑者死亡のまま書類送検する方針。そして数十年働いていた工務店への就職の経緯、また逃走支援役がいたかどうかも含めて、慎重に捜査を進め事件の全容解明を目指す。

一木 悠造:フリーライター

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