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不憫な運命の花「夕顔」が導いた光君の新たな恋路 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔①

東洋経済オンライン / 2024年2月4日 16時0分

粗末な板塀に、青々と茂った蔓草(つるくさ)が覆っている中、白い花がひとつ、笑うように咲いている。この花はなんだろうと思った光君が、

「うちわたす遠方人(をちかたびと)にもの申すわれそのそこに白く咲けるは何の花ぞも(古今集/遠くにおられる方にお尋ねします、その白く咲くのは何の花かと)」という古歌から、「遠方人(おちかたびと)にもの申す」とひとりつぶやくと、お供をしていた随身(ずいじん)がすっとひざまずき、

「白く咲いておりますのは夕顔と申します。花の名前はいっぱしの人間のようでございますが、こうしたみすぼらしい垣根に咲く花でございます」と言う。

そう言われてみれば、ちいさな家ばかり集まったむさ苦しいこの界隈(かいわい)のあちこちに、みじめに傾いた軒にも蔓をのばし、這(は)いまつわるように白い花が咲いている。

香を焚きしめた扇を差し出し

「かわいそうな運命の花なんだね。一房折ってきてくれないか」

と光君が言い、随身は蔀を押し上げてある門に入って花を折った。粗末ながらも洒落(しゃれ)た引き戸口に、黄色の生絹(すずし)の単衣袴(ひとえばかま)を長めにはいた、かわいらしい女童(めのわらわ)が出てきて、随身を招き入れる。深く香を焚(た)きしめた白い扇を差し出し、

「これにお花を置いて差し上げてください。手で提げると恰好(かっこう)のつかない花ですから」と言う。

随身は、ちょうど乳母の家から出てきた惟光に、その扇と花を渡し、光君に届けさせる。

「鍵をどこかに置き忘れまして、不都合なことでございます。あなたさまをどなたかとお見分け申すことのできる者もおりません界隈ですが、ごみごみした通りに車を停めさせてしまって」と惟光は光君に詫(わ)び、車を門の中に引き入れた。

大弐の乳母の子である惟光は、兄の阿闍梨(あじゃり)、乳母の娘と娘婿である三河守(みかわのかみ)などが集まっているところへ、折良く光君が立ち寄ってくれたことを心からよろこび、礼を言う。大弐の乳母も起き上がり、

「今さら惜しくもないこの身ではございますが、尼になるのをためらっておりましたのは、こうして以前と変わった姿をあなたさまにご覧に入れるのを残念に思っていたからでございます。出家して戒(かい)を受け、その御利益で生き返りまして、こうしてお見舞いにいらしてくださったお姿を拝見できましたから、今はもう阿弥陀仏(あみだほとけ)のお迎えも、心残りなくお待ち申せましょう」などと言い、さめざめと泣いている。

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