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今度はスープをかけられた「モナリザ」受難の歴史 過去にはケーキやカップを投げられたことも

東洋経済オンライン / 2024年2月7日 12時10分

1956年、モントーバンのアングル美術館に『モナリザ』が展示されていたときには、来館者が酸をかける事件が発生した。作品は下部に大きな損傷を受けた。この時点でより頑丈なガラスの保護が決定したという。同年、ボリビア人男性が『モナリザ』に石を投げつける事件も起こった。幸運なことに絵はすでにガラスで保護されていたため、ガラスの破片で絵の顔料が1部剥がれたが致命的なダメージを与えることはなかった。

ルーブルをめったに離れることのない『モナリザ』だが、アメリカに次いで1974年、東京の国立博物館に展示され、150万人が訪れた。

そのうちの1人だった日本人女性が公開初日にキャンバスに赤いスプレーを吹き付けた。車いすやベビーカーの入場を安全上の理由で拒否したことへの抗議だった。『モナリザ』はガラスで保護されており、ダメージはなかった。

2009年、ロシア人女性が美術館のショップで購入したティーカップをハンドバッグに忍ばせ、『モナリザ』に向かって投げつけたが、損傷はなかった。女性はフランス国籍を与えられないことに憤慨し、行為に及んだとされている。2022年にはパリ近郊に住む男性が障害者の車いすに乗る女性高齢者を装い、クリーム菓子を投げつける事件が発生している。

フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』、クロード・モネの『干し草の山』、エドヴァルド・ムンクの『叫び』、ジョン・コンスタブルの『干し草車』と近年、環境活動家によって襲撃された作品は多い。

妥協を許さない完璧主義者だったダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチは晩年、フランス王のフランソワ1世の庇護を受け、フランソワ1世の居城アンボワーズ城近くのクルーの館で過ごし、生涯を終えた。

美術品収集家としても知られるフランソワ1世は、ダ・ヴィンチが持ち歩いていた『モナリザ』を入手しようと何度も懇願したが、ダ・ヴィンチは生涯拒否した話は有名だ。実は妥協を許さない完璧主義者だったダ・ヴィンチは、描いた作品に何度も手を入れ、依頼者に渡さなかったことでも知られる。

ダ・ヴィンチはフィレンツェの工房で育ち、仲間の職人たちの中で断トツの才能を発揮し、輪郭なしの自然な立体感と空気遠近法で当時としては対象物の立体表現や空間表現、肌を描いて右に出る者はいなかった。当時の彼の立場は職人だが、しばしば、依頼された内容を独自に変え、さらに納期を守らないことでも有名だった。ただダ・ヴィンチの作品を所有することは当時の聖職者、王侯貴族の権力者、大商人にとっての名誉だった。

ダ・ヴィンチの絵が後世に与えた影響

中世の人物画の表情は無機質、無表情だったが、ダ・ヴィンチの人物画、例えば聖母子像、最後の晩餐の弟子たちには、微妙な感情表現が見られる。『モナリザ』の微妙な微笑は500年以上、人々を魅了してきた。『モナリザ』の人物の肌に筆跡が見られないこと、背景にある風景の奥行、その完成度は、以降の人物画、風景画に大きな影響を与えた。

そうした観察眼は、昨今のビジネスツールとしての「アート思考」にもつながっている。

『モナリザ』への攻撃は、多くの美術関係者や美術愛好家に衝撃を与えた。なぜなら、今でも『モナリザ』は芸術の最高峰と考えられているからだ。その破壊を肯定する社会運動家たちによって襲撃された事実は決して軽くない。

フランスで1月に就任したばかりのラシダ・ダティ文化相は、『モナリザ』が標的にされることを正当化できる「大義」はないと述べた。

安部 雅延:国際ジャーナリスト(フランス在住)

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