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五反田、「大崎」を名乗る施設が多い駅の周辺事情 地名の由来「広大な田んぼ」は今オフィス街に

東洋経済オンライン / 2024年2月14日 6時30分

JR五反田駅西口。都営地下鉄浅草線や東急池上線との乗換駅でもある(筆者撮影)

江戸時代には品川宿を通る海岸沿いの道が東海道となり、もっとも重要な街道の1つとなっていたが、それ以前には、直線状に小杉、瀬谷を通り平塚へと至る道がメインルートだった。徳川家康が江戸城へ入る際にも使ったと言われる。

【写真】山手線の五反田駅は周辺には「大崎」を名乗る施設が多い?そういえば・・・東急池上線の大崎広小路駅も大崎駅より五反田駅のほうが近い

東海道の整備後は中原街道と呼ばれ、脇街道となった。その道筋が五反田駅前を通る、現在の国道1号(桜田通り)だ。自動車時代となって再度、立場が逆転した形である。

駅開業で知名度が向上

その旧中原街道沿いに集落が発展。目黒川沿いに、一区画が5反(約5000㎡=約70m四方)の田んぼが広がっていたので、小字として「五反田」との地名が江戸時代に生まれたと言われている。

知名度が上がったのは、やはり1911年10月15日に山手線五反田駅が開業してから。1909年の電化を機に、駒込や鶯谷と前後して増設された駅の1つだ。それでも広域的には旧大崎町に当たるためか、駅周辺には今でも大崎を名乗る施設は少なくない。

隣の目黒まで1.2km、大崎まで0.9kmという短い駅間であり、大きくカーブしつつ丘陵地へと登ってゆく手前に駅を作ることができたのは、電車の高性能あってこそ。中原街道との交差地点でもあり、かつ人口集積があったため選ばれたのであろう。古地図を見ると、品川区になる前の大崎町の役場は五反田駅の近くに記号が描かれている。

地下鉄との乗り換えも便利に

この「主要道との交差地点に駅を作る」という山手線開業当初からの方針は、後世になって幹線道路下に地下鉄を建設する際、乗換駅の設置に大いに役立った。現在の都営浅草線が延伸されてきて1968年に五反田駅が開業した際も、国鉄駅に近接した地点に建設できている。

五反田へ乗り入れている鉄道にはもう1つ、東急池上線がある。前身の池上電気鉄道の手により、1928年に大崎広小路―五反田間が開業。蒲田―五反田間が全通した。

当初の計画では大崎広小路が終点で、五反田駅とは目黒川を渡って徒歩連絡とする予定となっていたが、やはり不便なので、わずか0.3kmの駅間距離ながら五反田駅が設けられた。

JR駅をまたぐ名物高架駅

その際、同社はさらに白金や品川方面への延伸を構想していたため、鉄骨造りの高架橋で山手線をまたぐ形で駅を建設した。しかし計画倒れに終わり、現在の東急電鉄への合併後も実現せず、高架駅だけが名物として残った。

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